2月8日

何をすればいいんだっけと思い、とりあえず「言葉と物」の抜き刷りをバッグに入れて外に出て、連載を読み返した。2月末に4ヶ月ぶりの締め切りがやってくる。僕はこんなふうにも書けたんだと思う。

小さな原稿の打ち合わせで編集者と電話。企画として求められていることと、僕がやりたいことにズレがあるので自分の意向を伝えて、いちど持ち帰ってもらう。

ツイッターがXになってから雨後の竹の子のように湧き出て、元日の能登の地震で被災者になりすます大量のツイートで問題になった「インプレゾンビ」の多くは、インフレで経済が崩壊しているパキスタンからのものらしいという記事を読んだ。2022年の大洪水以降、経済を立て直すことができず、去年だけで失業者が150万人増えたらしい。彼らも「被災者」ではあるわけだ。どう考えればいいのか。

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2月7日

契約関係のことで編集者とちょっと電話した以外、仕事らしきことはしなかった。原稿について、ちょっと話題ががちゃがちゃしたところはあるけど、それはゲラで整理するとして、ともかく書きたいことは全部書けたと言うと、それがいちばんいいことだと言った。最後のほうはおのずと同じ話をリサイズしてすることになるのだろうと思ったが、最後の最後まで新しい話が出てくる。振り返ることと別の話をすることが一緒になって、そういう速度が僕の速度なんだと思う。

昼、まいばすけっとでたらこだけ買ってきてたらこのパスタを作った。鳥羽周作のレシピ。麺を茹でているあいだにオイルにニンニクの香りを移して、色づき始めたらニンニクを(ざるもしくはキッチンペーパーに)上げておいて水分を飛ばしてカリカリにする。ボウルにたらこ、バター、オイルを入れて、茹で上がった麺と和えながらお湯を加えて水分を調節する。皿に盛ってニンニクのチップス(と大葉もしくはイタリアンパセリ)を振りかける。

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2月6日

夕方、珈琲館で作業をしていて、『非美学』の原稿の最後のところが終わった。3年間ずっと、そして書き終わるそのときまで、あとちょっとと思いながら、同時に、何がどうなったら終わりなのかわからなかった。最後の段落にさしかかって、もしかしてこれで終わりなのかと思いながらいくつかのセンテンスを書いて、もう書くことがないことに気がついた。はじめのほうは、あとちょっとだからと思っていて、後半はあとちょっとなのにと思っていた。何度も嫌になったし、何度も自分の見通しがたんなる見栄であることを思い知らされた。それが気付いたら終わっていた。いつもの珈琲館で。向かいに座って本を読んでいる妻に終わったかもしれんと言うと、よかったねと言った。お金を払って出て、スーパーで買い物をして帰った。夜中までかかって註の空いていたところを埋めて、時間は気にしないことにして編集者にメールで送った。これで本のことを考えずに眠れるんだと思った。でも実際布団に入ってみるとまったく眠たくならなかった。コンビニでお菓子を買いに外に出た。お菓子とコーラでひとりで打ち上げをした。

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2月5日

夜にズレ込んだ昼寝から起きると朝4時で、布団のなかで、昼寝と夜の眠りが一定の期間で反転するこのシステムについて、これは地軸の傾きによって夏と冬が行ったり来たりするシステムと似ているのだろうかと考えていた。今日は妻の誕生日で、この冬でいちばん寒く、雪が降るという。布団から出て横国の授業のレジュメを作る。雨靴にもなると思って買ったがいちども履いていなかった雪用の靴を履いて外に出るともうみぞれが降っていた。家を出てすぐのセブンイレブンで煙草を買って向かいのパチンコ屋の軒先で吸う。入口に乗り捨てられた電動車椅子が濡れていた。横国に登るときには雪が乾き始めて、アスファルトの上を小さな白い粒が虱のように跳ね回っている。最後の授業をして、ずっと押していなかった出勤簿のハンコを押しに行くと嫌な顔をされた。道路には透明に、畑には白く雪が積もっている。気付くと傘が重くなっていて、高速道路が屋根になっているところで地面に叩きつけて雪を落とした。横浜駅の高島屋でケーキと、自分用の弁当を買って帰って、やっと今日最初のご飯が食べられる。オンライン開催に変更になった郵便本講読の準備をして、8時から10時まで喋って、妻とケーキを食べて、すぐに寝た。

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2月4日

最後の章の最後の節の終わりが見えてきて躁っぽくなっているのか、毎日のように新しい企画を思いついてはそれを頭のなかで転がしている。哲学の店Philoshopy、スタジオ他我、ラジオ/エッセイ/クリティック(REC)、ジョン・カサヴェテス集団、いや、これはたんなる経済的な不安なのかもしれないが。いずれにせよ、悲壮感のない在野でありたいなと思う。

こうして継続的に文章を書いて公開することは、読者それぞれにちょっとずつ依存されることでもある。これを「ちょっとずつ」に留める作文上のテクニックのようなものが、いくつかある気がする。

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2月3日

「オーストラリアの多雨林に棲む鳥、スキノピーティス・デンティロストリスscenopoïetes dentirostrisは、毎朝あらかじめ切り取っておいた木の葉を下に落とし、それを裏返すことによって、色の薄い裏側を地面[の色]と対照さることで、いわばレディーメイドのような舞台scèneを作り、そしてその真上で蔓や小枝にとまって、くちばしの下に生えている羽毛の黄色い付け根をむき出しにしながら、ある複雑な歌、スキノピーティス自身の音色と、そのあいまに歌う、他の鳥を模倣した音色によって合成された歌を歌う。この鳥は完全に芸術家である。一個の芸術作品の下書きをなすのは、肉のただなかにおける共感覚ではない。それは領土のなかの感覚のブロック、すなわち色、姿勢、そして音である。この音響ブロックはリトルネロであるが、さらに、姿勢リトルネロと色彩リトルネロも存在する。姿勢と色彩はつねにリトルネロに入り込んでくる。かがむ、体を起こす、輪を描き、色の線を引く。リトルネロの全体が感覚の存在なのである。」
ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』

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2月2日

また変な生活リズムにズレ込んでいる。朝寝て昼3時に起きる。妻ももうほっといてくれる。かろうじて4時半からの横浜での整体に間に合う。帰りに珈琲館に寄って作業をする。もう夜だ。昨日作ったミートソースでグラタンを作って妻と食べる。僕には朝ご飯だ。ひとつ仕事を断って、ひとつ受ける。平日のあいだに済ませておきたかった事務仕事は、もう夜になっていてできなかった。そうやって自衛しているのだろう。

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2月1日

分離されたスペースを求めて、scrivenerからstoneに移設して書いたドラフトをさらにworkflowyに貼り付けて、段落をセンテンスにバラし、それをまた段落単位にまとめなおす。すると、書き足したセンテンスは三つくらいなのだが、もうその2500字ほどのセクションに書くことはないことに気がついた。それをまたscrivenerの原稿の続きに貼りなおして整形する。あともうふたつ、これと同じくらいの量のものを作ったら終わる気がする。

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1月31日

最近朝目が覚めるごとに体が元気になっているのを感じる。腰痛もだいぶおさまったし、眼の奥も重たくないし、息もしやすい。胃もたれもしないし、夕方になると決まってやってきていた頭痛もないし、不意に肩を攣ったりもしない。思えばこの半年くらい、そういう捉えどころのない不調に囚われていて、自律神経に関わるという上咽頭炎を治したり、サプリを飲んだり、椅子やベッドを変えたり、何が原因で何が結果なのか、そもそも原因が数えられるようなものとしてあるのか、ぼんやりとした不調のリゾームのなかをさまよっていた。たぶんいちばんよかったのはマッサージガンで、ゆっくり足の裏からうなじまで全身に当てて、そのあとストレッチをする。マッサージガン、ストレッチ、あととくに通い始めはなるべく高頻度の整体。姿勢や凝り、運動不足から不調が来ている場合、これくらいはする必要があるみたいだ。

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