7月30日

朝起きたらカムチャッカ半島沖で大きな地震が起こっていて、妻に津波警報が出ていると教えてもらう。テレビはどのチャンネルも津波の危険を呼びかけている。妻は今日から10日ほど実家に帰って、僕はもうシットとシッポの収録に出かけなければならない。母親からの津波に気を付けろというLINEにぜんぜん大丈夫だと答えるとまだ来てないだけだと返ってくる。頭が散らかったまま家を出る。電車は遅れが出ており、しかし遅れた電車がちょうど来てすんなり乗れた。事務所のドアを開けるとDos Monosの3人がポッドキャストを収録しているところで、ちょっと気まずくなる。言ってくれたらよかったのに。渋谷の駅ビルで牛タンの定食を食べて帰る。待てども待てども電車が来ず、ヘッドホンを外してアナウンスを聴くと湘南新宿ラインは運休したということだった。ぎゅうぎゅうの横須賀線に乗る。横浜駅の直前で減速し、もうすぐそこなのに、片手で吊り革の横棒を掴んだままなかなか着かない。やっとのことで帰るともう妻はおらず、部屋を片付けて洗濯物を畳んでくれている。寝て起きると夜中だった。

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7月29日

何度目かの禁煙を破って馬車道のセブンで煙草とライターを買って、降り注ぐ熱波を受けながら吸っていると通り過ぎたおじさんが、カーゴパンツ型のグレーベージュのハーフパンツに、肩甲骨の輪郭が浮かび上がるようなくたっとヨレた白いTシャツをタックインして、茶色い皮のベルトが見えている。よく焼けた細いふくらはぎにアシックスのスニーカーを履いて、浅いキャップから白い襟足が出ている。ファッションはこういう自己完結的なお洒落さへの到達不可能性をドライブにしている。

昨日の夜、久しぶりに走ってみたらぜんぜん走れず、生まれて初めて走った翌日に腹筋が筋肉痛になった。かなり体幹がへたっているんだなと思って今夜も走った。初日は1キロ7分ペースで30分走って、信号で休んでもそれでいっぱいいっぱいだったのだが、二回目は信号で止まらずどちらかに曲がっても1キロ6分半ペースで30分走りきれた。とりあえずしばらくは30分のペースを上げていきたい。

日中行ったり来たりしているイセザキモールではなく、大通り公園と関内の飲み屋街を抜けて山下公園に出て、大桟橋やみなとみらいの夜景、本当に倉庫らしく静まっている大きな赤レンガ倉庫を横目に走る。表の横浜の景色を通り抜けながら、頭のなかで「めくっている」という言葉が反響する。日の当たる裏横浜で仕事をして、夜のみなとみらいを走って、この街をめくっているんだ。

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7月28日

うーん、なんだかここを、もっと素直になる場に使うべきだと思う。もともとそうだったはずなのだが、4年もやってきてスカし方を身につけてしまって、それはたぶん、人に見せる日記だから見られたくないものを隠すとか、そういうことでもなく、自分しか読まないものであっても、気づくと日記はいつのまにか、なにかハードディスクのパテーションというか、ひとりダブルシンクというか、そういうことのための場になってしまう。だとすると何が怖いのか。たぶん「具体的なもの」が怖いのだ。なんでもない昨日の、具体的なあれこれを、そのままに書くことが怖い。怖くないときもある。これはなんなのか。

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7月26、27日

7月26日

相模原の知的障害者施設で職員によって19名の利用者が殺害された事件から9年。この事件を受けて自身のお兄さんとの関係を振り返り、鎌倉にある祖母の家を使って開催された佐々木健さんの個展について僕が聴き手としてインタビューした記事が出たのが3年前。その記事をアートビートがツイッターであらためて紹介してくれて、僕もそれを引用リツイートするかたちでぜひ読んでほしいと促す。実際いつまでも繰り返し読まれるべき記事だと思うし、僕自身この3年間何度も読み返してきた。でもどこかで、「周年」というきっかけに寄りかからなければならないこと、そして、僕もそうだしリツイートするひともそうだし、それ自体はいっさい実質的な行動ではないもので道徳的な負い目みたいなものを避けているだけではないかということを考えてちょっと落ち込んでしまった。こないだの参政党批判もそうだが、言論には、それが広がることを目的にしている側面もあるが、広がれば広がるほど受け手が自分でものを考えなくなるという根源的なジレンマがある。

7月27日

家ではNuphyという新興ブランドのメカニカルキーボードを使っていたのだが、突然Uのキーが打てなくなり、もともと手が小さいのもあってか、深いキーにどうしても馴染めなかったので、Apple純正のキーボードを買った。とても打ちやすい。これでよかったのだ。当たり前だが配列もMacBookと同じだし。

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7月25日

フィロシィピーのドゥルーズ入門で、最後まで『シネマ』と迷っていたのだが、今回は『感覚の論理学』を扱うことにした。『シネマ』は『眼がスクリーンになるとき』でも『非美学』でもさんざん扱ったし、講座全体のテーマである「抽象的なものの具体性」を考えるうえでも『感覚の論理学』はうってつけかなと思い。とはいえやはり読み返してみても、ドゥルーズの本にしては珍しいくらい議論があっちこっちしている印象があり、これまでのようにチャプター単位で切り出してもまとまりが作りづらく、離れたところから拾って繋げないといけなかったのでレジュメを作るのは大変だった。講義のはじめに、もう絶版になっている初版の原書をカメラ越しに見せた。図版だけの冊子とドゥルーズの文章が収録された冊子が分かれていて、ひとつの函に入れるかたちになっている。この本が最初こういうかたちで出たことはけっこう大事なことだと思うと話す。絵を見ながら読むことはできないし、読みながら絵を見ることはできない。展示に行くと答え合わせをするように作品とキャプションを引き比べてしまうこともあるが、作品と言葉、両者を引き剥がしたうえであらためて批評の価値を考えるという態度がそのままかたちになっているような本だ。

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7月24日

最近また本を読むのが楽しくなって、『非美学』の執筆で本の読み方を破壊された側面もあったのだなと思う。何年ものあいだ、だいたい10冊くらいのドゥルーズの本の、それぞれひとつかふたつの章を中心に広がるまばらで偏りのあるコーパスを繰り返し繰り返し耕すように読んでいくというのは、すごく極端なことだ。本ってこんなに早く読めるものだったのかと、そして、読んだら読みっぱなしでいいのだ(思い出すべきことは勝手に思い出す)と思う。

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7月23日

ポッドキャストの収録日。一週間が早い。荘子くんに渋谷駅まで送ってもらって、路肩に停まって次回のスケジュールを相談していると警備員のおじさんが歩いてきて、まあまた連絡すると言ってそのまま別れた。

なんだか頭のなかがとても静かでそれが気持ちよくてぼおっとしていたら電車を乗り間違えたりして渋谷から横浜に帰ってくるのに2時間もかかった。関内のベローチェで閉店までゆっくり本を読んで家に帰った。

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7月22日

実践に対置するべきは理論ではなく認識であり、理論とはその両者をブリッジするものであり、さらに、そのブリッジのありようを変形する、それ自体独自の認識と実践にもとづくものである。というのが、僕の基本的なスタンスなのだと思う。ともかく、実践=手を動かすことと理論=口先だけでなにか言うことという対立が設定されてしまった時点で理論的なものに勝ち目はないことは確かだ。

結婚記念日で、妻と四谷のCLISPという店でご飯を食べた。枝豆のフムスと、揚げたトウモロコシにクミンとかをかけたものと、ヘーゼルナッツのジェラートがおいしかった。

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7月21日

ヤニス・バルファキスの『テクノ封建制』を一日で読み切った。生成AIはアウトプットに使うよりインプットの補助に使うのがいいなと思う。どうして第二次大戦後のアメリカに第一次大戦後のようなインフレが起こらなかったのかとか、日本・ドイツの戦後統治とブレトンウッズ体制の関連とか、本を読んでいて背景を補いたいことについて聞きながら読むと、こういう自分の専門から離れた本を読むのにとても助かる。これくらい有名な英語圏の本だと本そのものの内容についても聞ける。それにしても、最近読んだ『奪われた集中力』もそうだったし、英語圏のこういう読み物はどうして、書き手の父や息子への手紙のような枠組みを使うものが多いのだろう。

「フォーカスとアテンションを概念的に区別すること。いろんな問題がここに集約される」とツイートした。これは新たな鉱脈だなと思う。

「立花孝志がやったことが選挙制度のハックなのだとすると、神谷宗幣がやったことは間接民主制のハックなのだと思う。前者から出てくるのはせいぜいガーシー議員だが、後者からはもっと怖いものが出てくるだろう」とツイートした。猫の目のように変わる神谷の発言は、「党員さん民主主義」を背景としているので、それをつついても、対外的には党員さんが頑張って考えたことと言えるし、党員からは神谷さんが正直に自分の意見を言ってくれたとなるのだと思う。

総じて、政治や経済なんて数年前にはこれっぽっちも手応えをともなって考えることのできなかったので、そういうことが頭のなかでパキパキと構造化されていくのは独特の気持ちよさがある。

夜、妻がスマホのスピーカーから生成AIで作った、デザートや果物でできたキーボードをタイピングするASMRの音がシャリシャリと聞こえてきて、鼓膜を掻かれるようで苦手な音だと言ってやめてもらった。

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7月20日

もう20日か。参議院選挙の投票日で、一日中うっすら投票いこうかなと考えていたが、入れたい人も党もないし、参政党をめぐって苛烈になる論調にも嫌気が差して、結局いかなかった。いや、たぶん、僕がポッドキャストで喋った参政党批判を引用しているひとを何人か見かけて、それで怖くなったというか、あんまりよくないことをしてしまったなと思ったのだ。ルッキズムならぬトーンイズムあるいはトニズムのようなものがあるとして、僕の批判はそれに棹さすものだった。こういう仕事をしている以上、自分の意見を使ってくれるひとが出てくるのはそれ自体いいことでも悪いことでもないが、トニズムに寄りかかって半端な仕事をしていると自分に跳ね返ってくるぞと思う。

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