10月6日
「それでは聴力計それ自体とは、つまりメーカーの販売するそれや、自作されたそれは、何なのだろうか? 聴力計それ自体とは、それぞれが相対的な個体性を有した技術的形態からなる総体である。」
(ジルベール・シモンドン『技術的対象の存在様態について』、宇佐美達郎・橘真一訳、みすず書房、86頁)
しばらく積んだままになっていたシモンドンの『技術的対象の存在様態について』を読む。人間や生物の存在論はあるが、機械の存在論をやったらどうなるか。あるひとつの機械が「ひとつ」であるための条件は何か。それはたとえば生物個体とはどう違うのか。機械が個体化されるプロセスはどのようなものか。といったことを書いてある本で、とても面白いのだが、なまじっかエンジンやら電子管やらについての専門的な記述が続く箇所が多いので、買ってすぐぱらっと読んで積んでいたのだ。しばらく積んでいると大事に頭から読む気持ちが薄れて、気安く読めるようになる(僕はこれが積読の大きな効用だと思う)。それで、知らない用語が出てくるページは片っ端から飛ばして、概念的な話をしているところだけを拾って読んでいる。それにしてもこの本と同時に『個体化の哲学』を書いていたなんて、ドゥルーズもそうだが、博士号取得のために主論文と副論文のふたつを書かねばならないというのはとんでもない仕組みだし、それがこうしてやりきれているのもすごいなと思う。
10月7日
エッセイ講座2回目の日。レジュメを作っていて、これはほとんどドゥルーズ『シネマ』の話だなと思った。僕は『眼がスクリーンになるとき』についてよく「知覚の外在性」と「身体の後発性」のふたつがテーマなのだと説明するが、それは『物質と記憶』も『シネマ』もそうだし、『非美学』も『ひとごと』もそうだと思う。文章もそうして考えているのだというのは、今回話して初めてわかった。