日記の続き#275

横浜に帰ってきた。松江はずっと曇りだったので日光がありがたいが、日中ずっと商店街のスピーカーから流れる正月の琴の演奏が聞こえて気が滅入りそうになる。

「他人の日記」にさっそく6人くらい日記を共有するひとが集まっている。意外だったのはもとからウェブで公開している日記ではなく、個人的に書いている日記を共有するひとが多いことだ。僕はてっきり個人的に書いているひとはひとに読まれたくないひとだからこういう場には来ないだろうと思っていたのだが、そういうわけでもないようだ。ここ2年日記についていろいろ考えてきたけど、私秘性を所与のものとしないために誰にも読まれないままひたすら書き続けられる日記があるということをフレームから除外してきた。誰にも読まれないからといって誰のことも気にしていないかというとそうではないのだ。しかしなぜ日記は読者を求めるのか。

日記の続き#274

さいきんいよいよツイッターに見切りを付けたひとが増えているのかdiscordのサーバーを立てて告知しているひとをよく見るようになったことと、ウェブでこつこつ日記(的なこと)をやっていても現状のSNSだとそれがどういうひとにどれくらい読まれているかという手応えが得にくいのが気になっていたことが頭のなかで合わさって、日記を書くひとのためのサーバーを作ろうと思った。いまそういうハブになれるのは僕くらいなのではないかとも思う。作った部屋は三つ。自己紹介がわりに自分の日記を紹介する部屋、日記を更新したときにそのリンクを貼る部屋と、日記のためのメモを書き留める部屋。申請があれば誰でも入れるが、日記(文章でなくてもいい)をやっていないひとは投稿することがないので読むだけになる。あるいはこのサーバーにだけ公開する日記をグーグルドキュメントか何かで書いてもいい(ただし転載・流出を阻むのはモラルだけだ)。私語厳禁とは言わないが、そのための部屋がないので雑談のようなものが生まれることはないと思うし、そういう冷たい場があってもいいと思う。 よっぽど誰かと話したければDMを送ればいい。以下のリンクから参加申請できます。サーバーの名前は「他人の日記」。

discordサーバー「他人の日記」招待リンク

日記の続き#273

部屋に置く低い椅子がほしいなと思って調べていたら中古のよさそうなイージーチェアがヤフオクに出品されていて、10000円だったので10500円で入札して、昼寝して起きると14000円で誰かが落札していた。トンガで起こった噴火が引き起こした波が、12時間ほどかけて日本の夜中に届いた。旅客機よりは遅そうだが、かなり速いのだろう。火山の名前はフンガトンガというらしい。(2022年1月15日

日記の続き#272

美保関にある神社に初詣に行く。妻の両親の車の後部座席に座って、このような息子的なポジションにいるだけでそれがひとの家族であってもある程度落ち着けることに静かな驚きを感じていた。港から少し歩いて坂を上ったところにある神社に参って、灯台に移動する。東には湾を挟んで境港と大山が、ちょうど晴れ間にさしかかって北には隠岐の島が見える。かつては西は福岡、東は新潟と繋がる主要な港だったのだと聞く。ときおり両親のスマホが同時に鳴って、義理の姉からのLINEが来ているのだと気づく。妻も普段家族のグループチャットで何かやりとりしている。息子らしく後部座席に乗るのはできても、グループチャットはできないなと思う。

日記の続き#271

いまだに「日記の続き」という名前に馴染めずにいるので#270でやめてまた普通の日記を丸一年やればちょうどぜんぶで1000日ぶんになるからここでやめるか迷ったのだが、このまま#365までやってあと100日ほどを博論本初稿のリミットとして考えたほうがいい気がしたのでそうする。

妻の実家で夕食に余った鰤の刺身をしゃぶしゃぶにして食べる。大きい画面のテレビがついていて、文脈のわからない会話が取り交わされていて、それだけでどっと疲れてしまった。ちゃんと見ない、ちゃんと聞かないということのほうが難しい。僕はリラックスするために非常な努力を要するタイプなのかもしれないと思う。喫煙や視線の操作、喋り出しの声の調子、いつのまにか身についたそういう作為的な手管を張り巡らせていて、最近はそれが逆にひとに緊張を強いることがあるということに気がついてきてしまった。どうすればいいのか。

日記の続き#270

早起きして荷造りをして羽田に向かう。蒲田から海のほうへ折り返して、大きいマンションのあいだを縫っていく。ドアには個別性がないがベランダにはあると気づく。荷物を預けてコーヒーを飲みながらiPhoneで日記の下書きをした。米子空港まで車で迎えに来てもらって、妻の実家でおせちを食べた。花と鳥で対になった軸のかかった床の間に伊勢海老の木彫が置かれていて、畳に敷かれた赤い絨毯のうえに朱塗りの膳が4つ並んでいる。なんだか公家みたいな正月だねと妻に言うと、久しぶりに集まったから張り切っているのだと言った。400年前のものらしいお屠蘇に口を付けて、田作りや黒豆をつまんでから膳を下げて、ちゃぶ台に重箱を広げる。喪中とのことで年賀状が出せなかったが、うちの両親が先年は大変お世話になったと申しておりましたと言う。直前でコロナになって来れなくなった姉夫婦のぶんおせちがたくさん余ったので、僕があとで食べますと言って別の箱に詰め替えて、祖父がかつて住んでいたマンションの部屋に移ってやっと荷解をした。親からの言づてをして、余ったおせちを引き受けて、これはどういう正月だろう、真心と形式性が骨絡みになっていると考えながら、敷いた布団のうえでストレッチをした。

日記の続き#269

新宿で大和田俊と待ち合わせる。奥さんは元気かと聞かれたので、数日前から先に帰省していると言うと、そういうのってムズくないかと聞くので、ムズいですよ、僕が一緒に帰れない強い理由がないことは向こうもわかっているわけだからと笑って言った。彼はそういうのめっちゃ気になるんだよな、それが上手くできるひとがいるっていうことが、と言いながら甲州街道を東に降って行った。

彼が世界堂に寄りたいというので着いていくことにする。ドローイングを始めたいそうで、どうしてかと聞くと自分の仕事が何なのかわからなくなったからだと言うので、そうでしょうねと言って笑った。適度に安っぽいくすんだグレーの紙をまとめたパッドを見つけて、彼がそのB4版を、僕は机に置いておくメモ帳にしようと思ってB5版を買った。大晦日に関わらず世界堂は大盛況だった。

いつものようにエジンバラに入る。彼は帰省のためにコロナの抗原検査キットを使ったようで、そこにあった「6回混ぜてください」というインストラクションの「6回」という数字が気になったらしかった。統計に向けてやらされているということですね、とか、その6回は冷凍食品を500ワットで6分温めろという指示とは違いますね、こっちはおいしさのピークに合わせているわけだから、とか、話に角度を当てがっていく。液が赤くなるまで混ぜろというのとは違いますねと言うと、うん、それだったら「親切」だからねと言った。病院で検査するときに看護師は6回混ぜなきゃとは思ってないでしょうねと言うと、そう、検査というフォーマルなものが通常職能としての経験則でこなされていて、それを非常事態で麻薬の注射みたいに人々がインフォーマルにやろうとすると、5回とか10回とか人間に優しい数字でなく「6回」みたいな変な数が出てくるのだ、別にそれにことさら文句を言いたいわけでもないが、そういうことがあるということが気になるのだと言った。彼と話しているとマインスイーパーをやっているような気分になる。当たりをつけて爆弾を囲い込むのだ。結局「6回」について2時間くらい喋っていた。

彼のところに友人から家にご飯を食べにこないかという連絡があって、僕の知り合いでもあったのでくっついていくことにした。新大久保のインド食品店——ちょうど昨日引用した日記にも出てきた店だ——でマトンビリヤニ、サモサチャート、ローストチキンを買ってタクシーに乗って、知らない街で降りた。みんなで紅白を見ているともう10時過ぎだったので、明日早く羽田に行かなきゃいけないのでと言って先に帰らせてもらった。コンビニでどん兵衛を買って帰って、お湯を入れて待つあいだに年が明けた。

日記の続き#268

新大久保で友達と遊んだ。インド系の食材屋さんでチャイを飲んでパニプリをつまんで、BTSのグッズ屋さんを見て、サムギョプサルを食べて、純粋なしるしみたいに1時間だけカラオケをして別れた。職場でしか会わないバイト仲間と初めて遊ぶような遊び方だ。帰ると彼女の髪がすっかり短くなっていて、30センチほどの毛束を袋に入れて持って帰っていた。ヘアードネーションというものは知っていたが、てっきりお店に渡すのだと思ったら自分で送るらしい。持ってみると思ったより重たくて、猫を抱え上げるときのように支点に重心がくっついてくるような感覚でちょっと怖かった。女子刑務所に送るらしい。カツラになるのだ。(2021年12月22日

日記の続き#267

妻がいないと自炊をする理由がなく、自分のためだけに家事をするのはこんなにキツいことだったっけと思う。そうばかりも言っていられないので煮詰めたトマト缶と挽き肉を合わせたソースを作って、2日に渡ってパスタと絡めて食べた。姿勢がよくないのか作業机の椅子が合わないのか、座っていると腿の裏が圧迫されるような感じがするので、数日前から背もたれのないスツールに座ることにしている。そうすると今度は要らない力が入るのか、骨盤の外側あたりが突っ張ってくる感じがあったので、バランスディスク(座布団のような扁平なかたちのバランスボール)を買ってそれをスツールに乗せてそこに座っている。これだと座面が高くなって仙骨の角度もよくなるからか、足の裏がしっかり床に下ろされている感覚がある。こないだ瞑想の話をした流れで黒嵜さんが『悟らなくたって、いいじゃないか:普通の人のための仏教・瞑想入門』というプラユキ・ナラテボーと魚川祐司の対談本を教えてくれて、キンドルで買って読んだ。それで、プラユキが実践しているという手を動かしながらやる座禅が面白そうだったので、YouTubeで解説を見てから30分間やってみた。バランスディスクのうえに座ってやると、片手をちょっと挙げるだけで体の重心が移るのが感じられて、それが楽しくてすぐに時間が経った。こういうのが向いているのかもしれない。

日記の続き#266

コメダに入ると、シロノワールにかけてコトシオワールと書いたポスターがあって、こういう暢気なのがいいよなと思った。イセザキモールに最近できたとんかつ屋に入ると、客も店員も年寄りばかりで、年寄りがこんなにとんかつを食べるのかと思った。お盆を下げるときに店員が拭いているはずなのだがテーブルが汚くて、テーブルが多少汚れていることを許容させるようなカルチャーを作った点においてファストフードチェーンはけしからんと思った。しかし記憶を遡ると、昔はマックだってもっとこまめにテーブルを拭いていたはずだ。田舎だったからだろうか。