日記の続き#321

5章の冒頭の節を「20世紀哲学者列伝」というタイトルにしてプロットを作る。ドゥルーズの言語論(と、言語実践としての哲学論)を見たあとであらためて言語論的転回以降の哲学の流れがどのように見えてくるのか、はたして思弁的転回はその外に出ているのかということをworkflowyでばーっと書いていく。言語論的転回はまだ終わっていない。実際にはおよそ「列伝」ではないのでどうせあとで名前は変えるのだが、たんに書くうえでテンションが上がるし、哲学史とするよりそれぞれが勝手にやっている感じが出ていい。

こないだのワークショップで日記を続けるためにはモチベーションを複数持つといいと言って自分の動機を5個話したが、いちばん大きい「野心」の存在について話さなかったのはウソだったなと気づいた。野心がなきゃこんなに続くわけがない。どういう野心か? このタイミングでこの立ち位置で3年間日記を書けば、自分以外全員を相対化できるという野心、書いてしまえばあとは僕の価値に付随して日記の価値も上がるという野心だ。野心は相対化のフィールドから出るためにこそ使うといいと思う。

日記の続き#320

ラリュエルブームと共訳書の追い込みでしばらく本の原稿がおろそかになっていた。気合いを入れなおさねば。福尾誠という「おかあさんといっしょ」の体操のお兄さんがどうやら番組を卒業するようだ。まあまあめずらしい名字なのでツイッターであれば「福尾」でエゴサしても自分のことがちらほら出てくるのだが、今日は彼のことばかりだ。というか、福尾で検索するとだいたいは福尾誠と福尾亮(東海オンエアのりょうの本名)のことが出てきて、なんとなく彼らの存在を感じることがいつのまにかちょっとした習慣のようになっている。どちらも僕と同い年くらいで、僕よりシュッとしていて、それぞれがんばっている。それにしても体操のお兄さんと人気YouTuberとは。福尾は2000人くらいいるらしいがそれくらいでこれくらい幅が出てくるものなのか。そういえば妻は2001人目の福尾になったわけだが、まだ彼女が福尾さんと呼ばれているのを見たことがない。いや、宅配便の受け取りのときには呼ばれている。しかしそれは呼んでいるのではなく、呼んでいいかどうか聞いているのだ。

日記の続き#319

シンクに置きっぱなしになっていたお椀を洗ってグラノーラと牛乳を入れて、食べて、シンクに戻して水に浸けた。満たされたかどうかわからないお腹の感じもあいまって最後に「くりかえし」と書いてある4コマ漫画みたいだ。フルグラ永劫回帰。この瞬間が永遠に繰り返すことにイエスと言うようにこの瞬間にイエスと言えるだろうか。お椀に聞くべき質問かもしれない。着替えて電車に乗った。横浜駅まで出て、栃木の小山駅まで2時間ほど。友達と合流してドンキホーテで紙皿やらウェットティッシュやらを買って、先に準備している人らがいる思川沿いに行って、散漫なバーベキューと小規模な焚き火をして、同じ電車に乗って帰った。行きも帰りも空いていて、広く見える窓をずっと見ていた。今なら聞いてくれていい。いや、そっとしておいてほしいと思った。(2021年4月24日

日記の続き#318

めずらしく僕が午前に起きていて、外も暖かいので妻に散歩に誘われて、年末のRAU展でもらった本牧台地のフィールドツアーのコースを歩くことにする。横浜橋商店街を南に抜けて、前住んでいたアパートがある市大病院のところから中村川を渡ると台地が崖として立ちはだかる。西側の緩やかな坂に回ってそこを上ると、英語が書かれたゲートがあって面食らった。米軍が接収した土地だ。住んでいる街を見下ろしながら台地を海のほうへ向けて——つまりいつも関内のルノアールまで歩く道と並行して、しかしそれより南にズレて50メートルほど高いところを——歩いていると、ベージュ色の車体の山手ライナーという普段見ない路線バスが同じ道を通っていた。一軒家、小さくて古いアパート、小さくてものすごく古くて廃墟になったアパートが並び、丘を見下ろすようにかつて瀟洒だった古い大きいマンションがあるが、コンビニもスーパーも飲食店もない。自販機には必ずドクターペッパーがあって、やはり半分アメリカなのかなと思った。南側には広い墓地が広がっていて、その向こうにいつかこの日記にも書いた、ホーンテッドマンションのような根岸競馬場のスタンド跡が見える。2年前を2年分隔てて見ているようだ。直線距離で言えばうちから関内まで歩くのと根岸まで歩くのはそう変わらないのだということに思い当たる。もうところどころ梅が咲いていて、コートを着ているのが暑いくらいだった。台地から降りると寿町と石川町のあいだのところに出て、そこまで東に寄っていると思っていなかったので奇妙な感じがした。イセザキモールに入るとやっと落ち着いて、マックでコーラを飲みながら台地の歴史を調べた。米軍の土地は「根岸住宅地区」と呼ばれていて、最初に見たゲートから競馬場跡のほうまで2キロほども続く区域で、2015年に居住者が引き払っており、返還の方針も定まったところで宙づりになっているようだ。市のホームページには跡地利用として市大のキャンパスを作って交通の便をよくするとあるが、この台地では1999年に地震も降雨もなかったのに出し抜けに崩落が起こったこともあるらしい。キャンパスができれば同じく丘の上に取り残された横国のキャンパスと北と南に分かれた双子のような関係になる。台地は12万年前の海進とその後の下降によってできた平地が川で削られてできたようだ。僕が普段行き来している大岡川流域はその削ったほうで、台地は削られたほうということだ。12万年後に前者は赤線地帯となって、後者は「山手」と呼ばれるようになった。ここ2年のことについてはこれまで書いてきた通りだ。

日記の続き#317

布団で横になって日記について考えていると千日回峰行がなんぼのもんじゃいという気持ちになってきた。つまり、彼らは衣食住が保証されていて、社会的地位に対する不安も、長短いくつも抱えた原稿のことを考える必要もなく、それだけをやっていればそのことに対するあらかじめ決められた報酬が与えられる。それに対して日記を続けることは生活上のあらゆる——国民年金の徴収を代行するバックスグループからの電話を含めた——雑事とともにあり、雑念はむしろ増え、行の達成者の今際の際のインタビューを読むと寺のなかですることだけが修行なのではなく生きていることが修行なのだと言っていたが生きていることが修行だったらどれほどいいか、生の非修行性という悲惨は仏が救ってくれるのかと思った。日記を書く行者がいたらどうか。それならいいと思う。やっているあいだは黙っていて、やってしまえば言葉に他の誰にもない価値が宿るなんてズルい。

日記の続き#316

珈琲館とベローチェ、ふたつの喫茶店をまたいでRocco Gangleというひとが書いたラリュエルの『差異の哲学』の解説書を読みながらOne ohtrix Point Neverのアルバムを聴いて、なんだか微妙に時代遅れだなと思ったが、数年のラグを気にしていたらなんにも新しいことなんてできないのだと思いなおした。ラリュエルもOPNも周りで話題になっているときはしっくりこなかったが、今になって前者については自分なりに何か展開できそうだし、後者についてはたんに楽しく聴けるようになった。イセザキモールのドンキホーテに入って掃除用品を眺める。ドンキは純粋小売業の最後の砦だと思っていたが、久しぶりにゆっくり見るとこれまでは半分おふざけで作っていたようなプライベートブランドの商品(ドンペンが描かれたタオルやクロックス)が洗剤やお菓子にまで拡張されていた。僕もその流れの先にいるが、作るだけ、売るだけというのはやはりもう難しいのだ。イヤホンからは数年前に出たアーティストとの対談を流していて、そう、相手が息の長い会話に慣れていない場合はとりあえずこうやってバラバラと話題を投げて、あとでこっちでまとめてそれをまた投げ返せばいいのだと思った。

日記の続き#315

たとえば鬱っぽくなって家からぜんぜん出られなくなっても、一日ひとつ日記を書くことはできるという体を作っておくことはめちゃめちゃ助けになるのではないか、と、こないだツイートしたらたちどころに500近くいいねがついて、なんだか人を騙しているような気持ちになった。嘘をついているわけではない、というか少なくとも、僕がそう思っているということは本当なのだが、それは僕が僕のためにそう思っているのであって、それが誰かの役に立つかもしれないという当て込みも含めて僕の思考のひとつの取っ手として置いているのだが、べつにそれが帰責性を生むのではないとしてもそれがいつのまにか他人にとっての他人の言葉として寄りかかる手頃な対象になってしまうことに対して僕はまだ準備ができていない、あるいは同じことなのだが、これに「いいね」をするということに対して呆れてしまったのかもしれない。かれこれ100人以上日記を始めてはやめる人を見てきた。レコーディングダイエットでもなんでもいいが、自分の生活にひとつのインジケーターを埋め込むというのは破壊的なことだ。僕が鬱病になったら日記が書けるか? たぶん日記を書くことだけはできるだろう。でもたぶんそれ自体が病的なことだ。

日記の続き#314

昼の珈琲館は混んでいて、おばちゃん四人組、不動産の話をしているらしいおじさんふたり、このあたりが地元らしく近所のラーメン屋や喫茶店の昔話をしているおじさんふたりの話が四方から聞こえてくる。おばちゃんのひとりがシュレッダーのことを「入れるとゴミになるやつ」と言ったり、不動産おじさんが「ここがだいたい5メートル」と言ったり、地元おじさんが「地獄ラーメン」の話をしたりしている。とはいえわかるのはそれが日本語であるということくらいで会話の内容はぜんぜんわからない。字面だけ取り出せば母語話者どうしでもこれぐらいわからないのが野生の言葉で、人工知能の自然言語処理はそれを前提にした言葉へのアプローチと言えるのかもしれないと考えながら本を読んでいた。その背後では注意の外のテーブルの客がそこここで入れ替わっている。iPhoneのボイスメモを起動させて15分ほど録音して、帰ってから聞いてみたが誰が何の話をしているのかやっぱりわからなかった。ビリー・アイリッシュの「Your Power」のあとにトムトムクラブの「Genius of Love」をサンプリングしたヒップホップがかかっていたことはわかった。調べてみるとLattoというアーティストの曲だった。音楽のほうが多面的なのでトレースしやすい。

日記の続き#313

真夜中、台所のシンクを掃除する。スポンジ状のヤスリで磨くと綺麗になるとYouTubeで知って、Amazonで注文して届いたヤスリを目の粗いものから順番に4枚使って磨く。ステンレスに白く浮いていた水垢が取れて、削り出された砂鉄のような黒い粒を流すと曲面が白い蛍光灯をそのまま白く、オレンジのLEDをそのままオレンジに照り返して、そこだけ時間から取り残されたようだった。

こないだイセザキモールのブックオフにふらっと寄って地下にある古着コーナーで買ったネルシャツを着て珈琲館に出かけた。オレンジとグレーのチェックでオープンカラーなのだが、DIGAWELあるいはUNUSEDだと言われればそんな気もするような抜け感がある。タグを見てみると500円でしかもGUのもので、いい買い物をしたと思った。作業を終えてスーパーでほうれん草とピーマンと牛肉を買って帰ってナムルと青椒肉絲を作って、同じときにブックオフで買った『RETURNAL』というゲームで遊んだ。こうしてみると実にいろんなものを買っている。

日記の続き#312

起きて引用する日記を選んで、ワークショップの前半でするショートレクチャーのスライドを作る。参加者は今月初めから日記を書くことになっていたのだがすでに途切れている人が多く、これまでも日記を書いてはやめる人をたくさん見てきたので最初に僕なりの継続のコツを書くことにした。

  • 日記でなくでもそうなのだが、とくに日記は、ひとつのモチベーションで続けるのはとても難しいと思う。
  • たとえば「文章が上手くなりたい」から日記を始めるとして、まず「文章が上手い」というのは非常に抽象的なことで成長が実感できるようなものではない。あるいは「日々の出来事を記録したい」から始めるとしても、記録に値するものの少なさに幻滅するのがオチだろう(いちばん危険なのは他人の評価を求めること……)。
  • 日記を直線的な動機→結果で続けるのはほとんど不可能で、むしろ途切れたり分岐したりする思いなしの複線性そのものをドライブにしたほうがいい。
  • つまり、モチベーションを複数抱えておいて、飽きたらそのつどひとつ捨ててまたどこかでひとつ拾うようにするといいと思う。

それで、メインのテーマとして僕自身のモチベーションを5つに分けて話して、その輻輳性がどう日記の文章に跳ね返るのかということを話した。キーワードのひとつは「不埒さ」で、日記に生活上の効用があるとしたら生きていることそのもののうちにある不埒さが表現になることだと思う。後半のワークショップは思いのほか盛り上がったので安心した。通り一遍の自己紹介抜きにいきなり日記を交換して自分はこの言葉の並びを書くか(書けるか)という観点から10分かけて読んでもらった。自分が書くときの解像度で人の文章を読むことは滅多にないが、不思議なことにそうすると相手に自然な好意が生まれるようだった。