YouTubeで丸山ゴンザレスの動画(秋葉原連続通り魔事件の犯人の友人へのインタビュー)を観たら、ゴンザレスが「否」という刺繍の入ったニューエラのキャップを被っていて、丸山ゴンザレスが「否」か、かっこいいなと思ってよく見ると、「否」ではなく「T」と「G」が縦に重なったモノグラムだった。
8月9日
7月30日から妻が実家に帰って、10日ほどひとりで過ごすことになり、そうするともう授業も終わっているので誰とも会わず誰とも話さない日々になり、いっそのこと日記も休んでみようと思って書いていなかった。昨日の夜彼女が帰ってきて、トマトスパゲッティを作って一緒に食べて、今日は一日一緒に近所をぶらぶらしたりしていた。
帰ってきた日、スパゲティの材料を買いに家を出ると、近くのローソンの前の道の真ん中におじさんが座り込んでいた。こないだは真夜中に道の真ん中に座り込んでいる酔っぱらいをお巡りさんに引き渡したが、この街にはいろんな事情で道の真ん中に座り込んでいる人がいる。半ズボンから出た脚がカサカサして紫がかっている。誰も声をかけていなかったので近づいて大丈夫ですかと聞くと、大丈夫、自転車で転んじゃってと言う。確かに傍に自転車が停まっていて、膝を擦りむいている。動けないんですかと聞く。うん、なんか脚が動かないんだよねと、とても愛嬌のあるダミ声が返ってくる。太ももをさすっているので、肉離れか何かですかねと聞くとわからないと言う。こういうとき僕は、我ながら普段とぜんぜん違う、はっきりとしたよく通る声で話す。看護師の母を小さい頃から見ていて、何かを学んでいるのだ。救急車呼びましょうかと聞くと、友達のタクシー運転手に拾ってもらえるからいいと言う。もう日は暮れていたのでそのままでも熱中症になるようなことはないだろうけど、暑いから店の中に連れて行こうかと聞くとすぐ迎えがくると言うので、ローソンで麦茶を買って渡して別れた。
7月31日
大和田さんと黒嵜さんと夜中にビデオ通話をした。日記を始めて二日目か三日目に書いた、栃木の車屋美術館での大和田さんの個展で、近くの河川敷に展示された《unearth》のための小屋が嵐で吹き飛んだらしい。その小屋は展示が終わって四年のあいだ、空っぽの状態で放っておかれていた。一部の破片は近くの中学校の校庭や田んぼにまで飛んでいっており、百頭さんを呼んで写真を撮り、ひとつひとつ集め、あらためて保管しているらしい。壊れてしまったこと自体には「けっこう冷淡な気持ち」だったようだ。他人の田んぼに入るのはけっこう怖かったが、踏み入れたときの、柔らかい泥の層と硬い底がはっきり分かれている感じは面白かったらしい。菓子折をもって田んぼの持ち主に謝りに行くとぜんぜん気にしていない様子で、なんか変なものが飛んでくることに慣れているからだろうと言っていた。
7月30日
朝起きたらカムチャッカ半島沖で大きな地震が起こっていて、妻に津波警報が出ていると教えてもらう。テレビはどのチャンネルも津波の危険を呼びかけている。妻は今日から10日ほど実家に帰って、僕はもうシットとシッポの収録に出かけなければならない。母親からの津波に気を付けろというLINEにぜんぜん大丈夫だと答えるとまだ来てないだけだと返ってくる。頭が散らかったまま家を出る。電車は遅れが出ており、しかし遅れた電車がちょうど来てすんなり乗れた。事務所のドアを開けるとDos Monosの3人がポッドキャストを収録しているところで、ちょっと気まずくなる。言ってくれたらよかったのに。渋谷の駅ビルで牛タンの定食を食べて帰る。待てども待てども電車が来ず、ヘッドホンを外してアナウンスを聴くと湘南新宿ラインは運休したということだった。ぎゅうぎゅうの横須賀線に乗る。横浜駅の直前で減速し、もうすぐそこなのに、片手で吊り革の横棒を掴んだままなかなか着かない。やっとのことで帰るともう妻はおらず、部屋を片付けて洗濯物を畳んでくれている。寝て起きると夜中だった。
7月29日
何度目かの禁煙を破って馬車道のセブンで煙草とライターを買って、降り注ぐ熱波を受けながら吸っていると通り過ぎたおじさんが、カーゴパンツ型のグレーベージュのハーフパンツに、肩甲骨の輪郭が浮かび上がるようなくたっとヨレた白いTシャツをタックインして、茶色い皮のベルトが見えている。よく焼けた細いふくらはぎにアシックスのスニーカーを履いて、浅いキャップから白い襟足が出ている。ファッションはこういう自己完結的なお洒落さへの到達不可能性をドライブにしている。
昨日の夜、久しぶりに走ってみたらぜんぜん走れず、生まれて初めて走った翌日に腹筋が筋肉痛になった。かなり体幹がへたっているんだなと思って今夜も走った。初日は1キロ7分ペースで30分走って、信号で休んでもそれでいっぱいいっぱいだったのだが、二回目は信号で止まらずどちらかに曲がっても1キロ6分半ペースで30分走りきれた。とりあえずしばらくは30分のペースを上げていきたい。
日中行ったり来たりしているイセザキモールではなく、大通り公園と関内の飲み屋街を抜けて山下公園に出て、大桟橋やみなとみらいの夜景、本当に倉庫らしく静まっている大きな赤レンガ倉庫を横目に走る。表の横浜の景色を通り抜けながら、頭のなかで「めくっている」という言葉が反響する。日の当たる裏横浜で仕事をして、夜のみなとみらいを走って、この街をめくっているんだ。
7月28日
うーん、なんだかここを、もっと素直になる場に使うべきだと思う。もともとそうだったはずなのだが、4年もやってきてスカし方を身につけてしまって、それはたぶん、人に見せる日記だから見られたくないものを隠すとか、そういうことでもなく、自分しか読まないものであっても、気づくと日記はいつのまにか、なにかハードディスクのパテーションというか、ひとりダブルシンクというか、そういうことのための場になってしまう。だとすると何が怖いのか。たぶん「具体的なもの」が怖いのだ。なんでもない昨日の、具体的なあれこれを、そのままに書くことが怖い。怖くないときもある。これはなんなのか。
7月26、27日
7月26日
相模原の知的障害者施設で職員によって19名の利用者が殺害された事件から9年。この事件を受けて自身のお兄さんとの関係を振り返り、鎌倉にある祖母の家を使って開催された佐々木健さんの個展について僕が聴き手としてインタビューした記事が出たのが3年前。その記事をアートビートがツイッターであらためて紹介してくれて、僕もそれを引用リツイートするかたちでぜひ読んでほしいと促す。実際いつまでも繰り返し読まれるべき記事だと思うし、僕自身この3年間何度も読み返してきた。でもどこかで、「周年」というきっかけに寄りかからなければならないこと、そして、僕もそうだしリツイートするひともそうだし、それ自体はいっさい実質的な行動ではないもので道徳的な負い目みたいなものを避けているだけではないかということを考えてちょっと落ち込んでしまった。こないだの参政党批判もそうだが、言論には、それが広がることを目的にしている側面もあるが、広がれば広がるほど受け手が自分でものを考えなくなるという根源的なジレンマがある。
7月27日
家ではNuphyという新興ブランドのメカニカルキーボードを使っていたのだが、突然Uのキーが打てなくなり、もともと手が小さいのもあってか、深いキーにどうしても馴染めなかったので、Apple純正のキーボードを買った。とても打ちやすい。これでよかったのだ。当たり前だが配列もMacBookと同じだし。
7月25日
フィロシィピーのドゥルーズ入門で、最後まで『シネマ』と迷っていたのだが、今回は『感覚の論理学』を扱うことにした。『シネマ』は『眼がスクリーンになるとき』でも『非美学』でもさんざん扱ったし、講座全体のテーマである「抽象的なものの具体性」を考えるうえでも『感覚の論理学』はうってつけかなと思い。とはいえやはり読み返してみても、ドゥルーズの本にしては珍しいくらい議論があっちこっちしている印象があり、これまでのようにチャプター単位で切り出してもまとまりが作りづらく、離れたところから拾って繋げないといけなかったのでレジュメを作るのは大変だった。講義のはじめに、もう絶版になっている初版の原書をカメラ越しに見せた。図版だけの冊子とドゥルーズの文章が収録された冊子が分かれていて、ひとつの函に入れるかたちになっている。この本が最初こういうかたちで出たことはけっこう大事なことだと思うと話す。絵を見ながら読むことはできないし、読みながら絵を見ることはできない。展示に行くと答え合わせをするように作品とキャプションを引き比べてしまうこともあるが、作品と言葉、両者を引き剥がしたうえであらためて批評の価値を考えるという態度がそのままかたちになっているような本だ。
7月24日
最近また本を読むのが楽しくなって、『非美学』の執筆で本の読み方を破壊された側面もあったのだなと思う。何年ものあいだ、だいたい10冊くらいのドゥルーズの本の、それぞれひとつかふたつの章を中心に広がるまばらで偏りのあるコーパスを繰り返し繰り返し耕すように読んでいくというのは、すごく極端なことだ。本ってこんなに早く読めるものだったのかと、そして、読んだら読みっぱなしでいいのだ(思い出すべきことは勝手に思い出す)と思う。
7月23日
ポッドキャストの収録日。一週間が早い。荘子くんに渋谷駅まで送ってもらって、路肩に停まって次回のスケジュールを相談していると警備員のおじさんが歩いてきて、まあまた連絡すると言ってそのまま別れた。
なんだか頭のなかがとても静かでそれが気持ちよくてぼおっとしていたら電車を乗り間違えたりして渋谷から横浜に帰ってくるのに2時間もかかった。関内のベローチェで閉店までゆっくり本を読んで家に帰った。