日記の続き#66

日記についての理論的考察§12各回一覧
以下、今日のいくつかのツイートより。

『日記〈私家版〉』、BOOTHの在庫は残り20冊ほどです。あとは以下の書店で販売されている在庫のみとなります。
日記屋 月日(下北沢)
本屋 B&B (下北沢)
ジュンク堂書店池袋本店
ブックファースト新宿店
とらきつね (福岡市)←New!
16:59

日記をそのまま収録しただけの、3200円もする変な形の本が365部売れるのかというのは (僕のなけなしの貯金にとっても)かなりのギャンブルであり社会実習であり市場調査だった。それで何が得られたのかはまだよくわからないが。
17:07

大げさに言うと、自分はこの世界を信じてよいのかというテストだったのかもしれない。答えはオーケーということなのだろうけど、これは僕自身が1年間積み立てた信用があってのことでもあり、ギャンブル用語でいう「握り」がさしあたり成立したということなのだろう。
17:16

日記の執筆やサイトの日記掲示板、そして『日記〈私家版〉』の刊行を通じて思うのは、日記には非コミュニカティブな信頼関係を築く力があるんじゃないかということ。
17:37

「ひとごととして眺める」ことにポジティブな意味を見出すのは、いまの社会にとってとても大事なことなのかもしれない。ある時期から「自分ごととして」という言葉を頻繁に聞くようになって、ずっと違和感があった。日記はどこまでもあられもなく「ひとごと」だ。
17:45

自分のことしか考えない→他人のことを自分ごととして考える→他人のことを他人のこととして考えるというステップがあるとして、ふたつめからみっつめへのジャンプはかなりタフだ。まさに村上春樹のいう「タフネス」はそういうことだと思う。
18:08

日記の続き#65

書くことがまったく思いつかず書き始めるのを先延ばしにしていたが、観念して書き始めた。何があったっけ。なんだっていいはずなのだが。作業の帰り。家のすぐ近くにパチンコ屋があって、店先にいつも新台の看板が出ている。AV女優の台が出たらしく水着姿の女優がずらっと並んだ写真が貼ってあるが、真ん中の明日花キララしかわからない、というか、彼女を中心に他の女優は左右に段々と小さくなりながら並んでいて、歩行者の目にとってはほとんど弁別性を失っている。明日花キララが明日花キララという名前になった瞬間の気持ちになってみようと思ったがよくわからない。さすがにダサくないかとか思ったのだろうか。データが少なすぎるし、その少ないデータも商店街の中の、パチンコ屋にしては驚くほど天井が低い店の、A2くらいの大きさのカペカペのポスターの、日本のタレントでもっとも成功していると言っていいくらいの完璧な美容整形とペカペカのフォトショップ越しで与えられている。わかるわけがない。看板を通り過ぎる数瞬のあいだになんだか勝手に拒絶されたような気持ちになりながら向かいのコンビニで飲み物を買って帰った。それにしてもパチンコにAV女優とは、あまりにあからさまじゃないか。

日記の続き#64

書店で『日記〈私家版〉』の刊行をきっかけにした、「日記も哲学も同じ散文」というテーマの選書棚を作ってもらえることになって、喜び勇んで30冊ほど選んで、すべてにコメントを付けますと言って、もう本は選んでいるのだが、まだコメントが書けていない。考えてみれば30冊だと200字ずつ書いても6000字の文章を書くことになるわけで、めちゃめちゃ大変なのだ。自分からやりますと言ったことだからやんないとしょうがないし。それも本の順番でコメントの内容もなんとなくひと繋がりにしようとしていて、これで全部うまくいくのかわからない。ともあれ今日は他に書くことも思い浮かばないので冒頭の2冊ぶんをここに載せておこう。

福尾匠『眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』、フィルムアート社
いきなり拙著で恐縮なのだが、同じ人間のやることなので、ドゥルーズ『シネマ』を通して考えたことと日記のあいだには繋がりがある。『眼がスクリーンになるとき』の第5章では、思考と時間の関係についてのドゥルーズの議論に取り組んだ。彼は、ものを考えるというのは、今日の次に明日が来るという単線的な時間から抜け出して、歴史が形作る地層から新たな断面を切り出すことなのだと述べた。そこでは非時系列的な時間が編み上げられる。ところで、日記を書いているときのいちばんのワンダーは、「今日」のことを書いているはずなのにいつのまにか違う時間に迷い込んでいるときである。

柴崎友香『ビリジアン』、河出文庫
この小説にはそうしたワンダーが溢れている。ある少女の10歳から19歳までの日常が連作の短編で切り出され、そのなかで彼女はしばしば「いつか」の自分に出くわす。思い出すという行為がそのまま外界に投げ出されてあるようなこの小説の世界は、私「が」過去「を」思い出すというときの助詞に宿っている方向性を撹乱する。その意味で彼女は鏡の国に迷い込むアリスに比せられるだろう。過去が私を思い出す。私を過去に思い出す。思い出すが過去を私に。

日記の続き#63

また1週間が過ぎて京都の日。正午。また明け方まで寝られず寝坊してしまい、いつもより1時間遅い新幹線に乗っている。英國屋をスキップすればじゅうぶん間に合うと考えてからシャワーを浴びた。今日は京都についてからひと息つく時間もないし、彼女の水筒を借りてコーヒーを入れていくことにした。僕は飲み物が好きで始終なにか飲んでいるのだが、移動中にカフェや自販機を探してやきもきするのも面倒だなと思ったからだ。新幹線のコーヒーも不味くはないけど、あのちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながらちっちゃいゴミの行方を気にしつつ砂糖を入れたりするのが嫌だ。だいたい京都の行き帰りだけで4回くらい何かしらの飲み物を買う。それが水筒ひとつで済むんならそれに越したことはない、というようなことを、シャワーを浴びながら考えていて、それは計画であると同時にこの文章の推敲であった。なんだか頭が日記に過剰適応し始めているのか、暗算ならぬ暗筆できるワーキングメモリが増えた気がするのだが、そのせいで頭のなかで時間が混線する。
帰りの新幹線。夜10時前。ひかりに乗ると空いていていい。のぞみより20分多くかかるだけだし。いつか新幹線の名前を考える夢を見て、「薄荷」にしようと言ったのを思えている。壁に貼られた広告に「奈良は、行くからおもしろい。」とあってどこもそうやろと思った。ぜんぜん来ないことに拗ねているのか、京都は実際行ったらおもしろくないという当てつけなのか。結局水筒のコーヒーは飲み切って、大学では最近気に入っている無糖の午後の紅茶を飲んで、ペットボトルの水を買って新幹線に乗って、まだぜんぜん飲み切っていないのに車内販売のコーヒーを買って、ちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながらちっちゃい砂糖を入れて水筒に移して、渡されたちっちゃいゴミ袋にゴミをまとめた。

日記の続き#62

去年も日記を始めて2ヶ月ほど経ってから、1年やり切ったら次は各日記の虚構の「次の日」を書くんだとか、各日記を書き換えて別バージョンの1年ぶんの日記を作るんだとか、そういう謎の計画を立てていた気がする。それが流れ流れて、一方では日めくりカレンダー型の本を作るということに帰着し、他方ではこの「続き」を書くということに落ち着いた。本はともかくこの「続き」がなんなのかいまいちまだピンと来ていないところもあるのだが、それもまあやっていくうちにどこかに落ち着くだろう。それで、いま妄想しているのは「続き」の次にやることで、「映画」を作るのがいいんじゃないかと考えている。そう思った理由は、博論の内容に関係することとか、蓮實重彦の批判からあらためて彼のやってきたことを考えたこととか、そろそろ学部を出てから疎遠になっていた映画に帰ってくるサイクルなんじゃないかとか、「日記映画」があるんなら日記の映画があってもいいんじゃないかと思ったこととか、いろいろあってぼやっとしている。ともかくこのサイトで映画を作るとしたらどういうものになるかを考えている。例えばこうだ。毎日更新するという方針は変えない。ただし日々交互に、footageとscriptというふたつの種類のテクストを投稿する。おおむね前者は映像に、後者はナレーションに対応する。それを1年間続けたものを『映画』とする。こんどは出来上がったテクストのうち、たとえばfootageのダイジェスト版をパワーポイントファイルに貼り付け、scriptのダイジェスト版を読み上げた音声ファイルをそのページに埋め込む。それを.ppt拡張子のまま『ファスト映画』という名前で公開あるいは販売する。これは結構愉快だと思う。

日記の続き#61


昨夜、というよりもう明け方なのだが、布団に入って体はもう眠っていてじーんと痺れるような感覚があるのに頭はまだ冴えているような、勝手に「ヴァルドマール状態」と呼んでいる状態(金縛りにはなったことがない)のときに、どこかで重たいドアが開くような音がした。それはレントゲン室や防音室のドアのような、開けると同時に空気が滑り込んでいくような音で、半分寝ていたからかその音が妙に生々しく、自分の臓腑が気圧差に引っ張られていくように聞こえた。しかし玄関のドアが開いたわけでもないし、他にそんなにはっきりと聞こえるほど近くにドアがあるわけでもないし、何の音なのだろうと思っているあいだに寝ていた。
別の話。イヤホンにはノイズキャンセリング機能も付いているけど、「アンビエントサウンド」という周囲の音を取り込む機能も付いている。あまり使うことはないがイヤホンを着けたままコンビニのレジに行くときなんかに使っていて、今日は作業の帰りにタバコを買うときに使ってからオンにしたまま歩いていた。走り抜ける車の音や自分の足音や衣擦れがとても平板に聞こえて、なんだかSEを貼り付けられているゲームのキャラクターになったみたいだと思った。階段を上がると階段を上がる音がする。

日記の続き#60

いつもちゃんとパソコンで書いているのだが、今日はなんとなくスマホで。ここ2週間ほど日記本にまつわるいろいろでバタついており、たんにやることが多いだけでなく雑多な物体の移動をともなうことなので部屋も散らかり気味になり、いまメインで取り組んでいるところの博論本の執筆からもちょっと距離ができてしまっていた。そろそろ仕切り直そうと空になったまま転がしていた段ボール箱を畳んでまとめ、梱包材を集めてゴミ袋に入れ、カッターやら領収書やらが散らばった机の上も片付けた。スマホの「集中」というアプリを使って、1時間単位で集中して作業を進める。ちょっと手が止まった数秒の隙間に手遊びでウィンドウを切り替えたり、エディタを意味なくスクロールしたり、その惰性でメールを見たりしてしまう。体がまだ集中に慣れていない。それは本当に数秒の隙間なのだ。そこにいる悪魔を締め出すためにはセルフ・ディシプリン、セルフ・モニタリングを援助する聖具が必要になる。でもそれはあくまで「リハビリ」のためであって、聖具に囚われてしまってもしょうがない。たとえばこのアプリにはログの機能も付いているが、これを大事なものだと思いすぎるとかえって数日のサボりによってログが「汚れる」ことが気になってしまい、かえってアプリを使わなくなってしまったりする。腰の重さと手癖の悪さのあいだに集中はあるが、それは前者で後者を、後者で前者をはぐらかすような微妙な運動としてある。書いてみたらスマホでもこれくらいの文章ならストレスなく書けることに気がついた。これもまた手による腰のはぐらかしか。

日記の続き#59

6月4日。30歳の誕生日。24歳だった気もするし、15歳だった気もする。今日はコメダで作業をしていると3時で時計が鳴って「ダニー・ボーイ」が流れてきて悲しい気持ちになった。外を歩いているとウーバーイーツの自転車のハンドルに指を広げたくらいの大きさの傘が付いていて、まさかと思ってスマホで「スマホ 日除け」と検索するとそれと同じ、スマホスタンドにちっちゃい傘がくっついたものが売られていた。そういえば去年の日記のどこかに、コメダの喫煙ブースで配達員が話していいて、夏は日差しでスマホがダメになって大変だと言っていたと書いた気がする。最初彼らはPがどうとかDがどうとか言っていて、なんだろう、テレビ関係者なのかなと思って聞き耳を立てると配達員らしく、PとDはどうやら「ピック」と「ドロップ」のことのようだった。受注から配達までスマホひとつでできるようになっても夏の日差しには勝てないのだ。それにしても、食べ物の配達を「ドロップ」と呼ぶのはさすがに即物的にもほどがあるのではないだろうか。たぶん英語ではタクシーで人を降ろしたりするのもドロップと言うのだけど、食べ物もそうなのだろうか。ウーバーイーツが配車サービスのウーバーから来ていることは関係あるのだろうか。日本語だと「置き配」が一般化したけど、届け物を「届ける」のではくドロップしたり置いたりする即物性と、スマホをダメにする日差しの即物性は、どこが似ていてどこが違うのか、とか。

日記の続き#58

ツイッターで流れてきた(真面目なほうの)スポーツ誌『Number』の記事を開いてみる。棋士のインタビュー。内容より記者の手つきのほうが気になった。こういう作り方の記事は人文系、美術系の媒体ではぜんぜん見ない。インタビューというより取材ルポのような書き方で、取材に至った経緯、相手の様子の描写、記者の心情のなかにときおり相手の発言が鉤括弧で括られて挿入される。『眼がスクリーンになるとき』を出したときに朝日新聞にインタビューを受けて、それが記事になったときに感じた驚きを思い出した。文脈の設定、直接話法と間接話法の使い分け、そこに加えられる注釈や考察。ほとんど哲学の論文の書き方と同じだと思った。われわれもテーマを提示し、文脈を抑え、直接話法で言質を取りつつそれを間接話法にスライドさせ、注釈し図式化し、もとのテクストから新しい相貌を引き出す。いわゆるドゥルーズの「自由間接話法」的なスタイルはこれらの各ステップの段差を極端に圧縮し滑らかにしたもので、どこまでが引用でどこからが介入なのか読者は容易に解凍できない。でも生身の人間を相手にこういうことをするのは全く別種の難しさもあるんだろう。ちょっとやってみたいけど取材したい人が思い浮かばない。(2021年6月8日)

日記の続き#57

日記についての理論的考察§11各回一覧
今回は歴史について。日記の歴史というと日本は日記文学の国だということで、『土佐日記』とか『更級日記』とか、そういう平安期の日記がいちばんに想起されるだろう。でも僕としてはそういうものより、近代以降の「制度」としての日記に興味がある。ここまで書いてきた〈イベントレスネス/イベントフルネス〉と〈プレーンテクスト/メタテクスト〉というふたつの軸が直交する地点にあるものとしての日記の(二重の)両義性は、日記の制度化と切り離せないだろうからだ。
さて、僕もまだ勉強を始めたばかりなので、今回はいわゆる「サーベイ」(いつもバカみたいな名前だと思う)の報告みたいな感じになる。近代日本と日記というテーマについては田中祐介の2冊の編著、『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院)と『無数のひとりが紡ぐ歴史』(文学通信)が必読だろう。とりわけ2冊ともに寄稿している柿本真代の論文は、明治期の小学校教育と日記の関係を論じたもので僕の関心に近いものだった。そこからさらに遡って、柿本のいずれの論文でも基礎的な研究として参照されている高橋修の「作文教育のディスクール:〈日常〉の発見と写生文」(『メディア・表象・イデオロギー:明治30年代の文化研究』、笠間書店所収)という1997年の論文を手に入れて読んだ。
この高橋の論文では、小学校における作文が、明治30年代つまり20世紀のド頭において日常を「ありのままに」書くことを称揚し始め、それは日記という形式が一般化したことにも表れていると論じられる。日記はいわゆる規律訓練型の権力を家庭での生活にまで浸透させると同時に、予備軍としての「小国民」の教化に寄与する遠足・運動会を題材とさせた。日記は私生活と国民意識の蝶番になっていたのだ。同時期には正岡子規の「写生文」が文学的なムーブメントとなり、雑誌『ホトトギス』では読者から日記が寄せられ、子規はコメントとともにそれを掲載した。高橋は日記の「イデオロギー装置」(アルチュセール)としての側面と新たな文学的表現の可能性という側面を分けて考えているようだが、そんな簡単な話なのか、というのがいまのところ手にした問い。