6月9日(天ぷら屋のボウル)

朝までかかって『置き配』の序文を仕上げた。メールで送信予約をして、誰に共有することもできないが嬉しくて目が冴えて眠れなかった。なんとか2時間ほど寝てシットとシッポの収録へ。事務所の近くの天ぷら屋で荘子くんと昼ご飯を食べた。おじいさんがひとりでやっているカウンターだけの古いお店で、定食は800円からある。揚がったものをどんどん皿に乗せてくれる。衣のボウルには粉が山のように盛られ、その裾野だけが水に浸っている。食材に合わせて水気を調節するためだろう。それを見て、物作りってこういうことだよなと思った。レシピ通りに決まった割合で混ぜると感覚がおろそかになるし、食材ごとに違う割合のボウルを用意するのも馬鹿げている。砂浜のようなボウル。それは食材の水気や油の温度や火入れ加減も含むマルチモーダルな状態を乗りこなすためのものだろう。料理が口に入る瞬間をゴールにするとその手前に定点を作ることは裏切りになる。勉強になった。

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6月8日(誰でもなくなりかけた話)

財布をなくしてもう1週間経つが、クレジットカードとキャッシュカードの停止と再発行以外まだなにもできていない。現金はなくてもぜんぜん困らないが、免許証も保険証もなくし、パスポートはちょうど4月に期限が切れたところだったので、いまは身分証というものをひとつももっておらず、誰でもなくなっている。しかしこうなると、再発行のための身分証がないわけで、八方塞がりなのではないかと思い、Geminiに相談してみた。まず住民票を取ってそこから保険証・免許証を再発行するといいということなのだが、身分証なしで住民票が発行できるかは自治体によるということで、はっきりしない。という話を妻にしたら、私が住民票をもらえばいいんじゃないかと言われ、たしかにそうだと言った。

いちばん美味しいラーメン屋こと寿々喜家に行くと、ちょっと並んでいて、まあちょっとだからと言って妻と並んでいると、明日から営業時間が午前6時から午前1時になるという手書きの張り紙があった。これまで夜9時には閉まっていたので夜の営業時間が延びるのは嬉しいが、朝6時から家系ラーメンを食べるひとがいるのだろうか。午後6時の間違いなんじゃないかと言いながら空いた席に座ると、帰りがけの客が店員に寝れないんじゃないと声をかけていて、店員は4時間睡眠だと言っていたので、ほんとうに朝6時から開店するのだ。昼から始発までのほうが絶対いいと思うのだが。

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6月7日(禁煙しながら煙草を吸う方法)

禁煙4日目。今日は4本吸った。外で吸っていると蚊に刺された。

『置き配的』の序文を書いていて、やっと、自分のなかでこの本のことを完全に肯定できるようになってきた。もう連載が終わって丸1年ほど経つ。それくらい時間がかかるのだ。ほんとに変な本なのは間違いなく、やぶれかぶれになりながら書いたのも確かなので、まとまっていないとか、奇を衒っているとか、そういうふうに思われるんじゃないかと自信をもてずにいたが、これが自分の素直な書き方だし、それは自分以外の誰もできないことだと思えるようになってきた。『非美学』の刊行からも今月末でちょうど1周年なので、あらためて振り返り・解説の文章を書いてみようかなと思う。『非美学』を引っさげてのベルギー行きの機運も見えてきたし。

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6月6日(「続・左手のない猿」へ)

ある写真家の作品集への寄稿依頼があって、作品の批評というより、作品に直接関係なくてもいいからエッセイ的な文章を、ということだった。僕はそもそも現代美術と関わったのが展示内企画で『シネマ』について5時間連続で講義するのが最初だったし、どうしてか「作品に直接関係なくてもいい」というかたちで関わることが多い。とはいえ何でもいいわけではないだろうし、「左手のない猿」について書いたブログを送って、これを膨らませてちょっと思弁的なエッセイにするのはどうかと提案すると、作品集も1万2千年前にホモサピエンスが定住を始めたことが作品集のテーマでもあるので、ぴったりだと返ってきた。すごい偶然ですね!と言ったが、それがはまるだろうということには確信があった。作品の感じや依頼の文面やタイミングでそういうのはわかる。

午後はずっとフィロショピーの準備。8時まで準備して、8時から2時間喋る。自分としてもかなり手応えがあったが、コメントでも好評だった。絶対おもしろいのでぜひ受講してほしい。まだ3期目だが「日記の哲学」はフィロショピーの最高傑作になりそう。

集中して準備をするために煙草を3本吸ってしまった。これでもう最後の箱も吸いきったのでこれからが本当の禁煙ということになる。いまのところ大きな変化はないが、視力が上がった気がする。

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6月5日(ライフとログ)

どうしても朝までにやらなければいけない仕事がなかなか終わらず、昨夜1本の半分煙草を吸ってしまった。今日このまま寝ればやっと丸1日禁煙できたことになる。いずれにせよ3日の夜からほとんど吸っていないわけだが、どうしても納得いかないのが、禁煙を始めてから喉が痛くなりはじめたことだ。痛かったのが治るのならいざしらず。

明日の「日記の哲学」はグレッグ・イーガンの「百光年ダイアリー」と「貸金庫」の話をしようと思って、読み返していた。SF小説を題材に授業をするのは初めてで、どんな感じになるか楽しみだ。どちらもほんとにすごい作品だと思う。「百光年ダイアリー」は、時間が逆行する銀河にデータを転送することで、未来の自分の日記を読むことができるようになった世界の話で(金持ちは動画を送れる)、自分が死ぬまでに書いた日記のすべてを読みながら育った主人公が、書かれていた通りの出来事を辿り、書かれていた通りに書きながら日々を生きる。これだけ見ると非現実的な思考実験のようだが、まさに講座のテーマとして掲げている「ライフが先なのかログが先なのか」問題をど真ん中で扱った作品でもある。

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6月4日(誕生日、というか)

誕生日なのだが、とくに特別なことはしておらず、なにより昨夜から禁煙しているので、煙草が吸いたくて誕生日どころではなかった。そわそわして作業に集中できず、今日だけで近所のカフェを4つもはしごして、歩いて気を紛らわせていた。

明日締め切りの文章があるのですが、それを仕上げるために、今日までは吸っていいことにしていいでしょうか。誰か。

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6月3日(禁煙、というか)

広島で財布を失くして、悲しいし、諸々の再発行は面倒なのだが、同時に、どこかちょっと嬉しく、どこかちょっとすがすがしい。それで、煙草もやめることにした。明日誕生日で33歳になるし、ふと、30代のテーマは「10代になると同時に40代になること」だなと思った。20代の頃は10代が恥ずかしかったが、30代になると20代の頃が恥ずかしい。そして僕にとって煙草は20代のエンブレムで、そういうものとして保存するためにも、いまがやめどきなのだろうと思う。

ものを失くすというのは、フロイト的には典型的な神経症の症状だ。僕は精神的に追い込まれると、スマホや財布を失くしたと思い込んで必死に探して、諦めたと思ったら家の電子レンジの上とか、どうしてそんなところに置いたのかと思うようなところにあるのを見つけたりする。その裏面で、いわば、財布に溜まっている「キャッシュ」を削除するのは無意識的な断捨離のようなもので、広島で失くすというのは、そういうことでもあるのだろうと思う。

いまは『置き配』の初稿を書き終わりつつあって、ひとつの作品を仕上げるというのは、脱皮に似たところがあって、新しい皮膚に当たる風が恐ろしいような感じがする。煙草を吸っていて、煙草を吸っていない状態になるために煙草を吸っていることに気づいてしまった。それはちょっとショックで、つまり僕は、煙草を吸わなくてよくなるために煙草を吸っているのだ。それはちょっとショックで、つまり、煙草を吸わないということが煙草をいちばん吸っているわけで、それは禁煙というより、煙になることなのだ。しばらく経つと胸がムズムズするが、それは煙草が吸いたいからではなく、煙草を吸わなくなりたいからなのだ。ということを考えながら大学の喫煙所で煙草を吸って、煙草とライターをゴミ箱に捨てて、授業をした。

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6月1日、6月2日(シットとシッポ公開収録@下瀬美術館)

総じて、荘子くんへの尊敬が深まった2日間だった。

1日の早朝に家を出て羽田から岩国空港に飛んで電車に乗り、広島の玖波駅で降りる。海沿いを30分ほど歩いて倉庫街を抜けたところに下瀬美術館がある。南に狭い海があり、北に山があり、そのあいだを東西に国道が走っているというだけで、魂のどこかが落ち着く。宮島を望む水盤に浮かぶ美術館は、そう言われているとおりの美しさだが、倉庫街と煙突だらけのコンビナートに挟まれ、後ろには大きなホームセンターとゆめタウンがある。「周辺・開発・状況」もそのような放埒さを認識・肯定させてくれるような展示だった。僕の地元に立地が近いのもあって、なおさら

ひとつめのトークでも話したが、恵汰さんがこれほどウェルメイドな展示を作るということ自体が僕にとっては驚きで、でもそれも、この美術館の立地や客層、収蔵作品の傾向といった、「土地」への彼らしい視点に基づいているのだと思う。もう10年ほどの付き合いになるが、僕とはぜんぜん頭の使い方が違うので話すたびに発見がある。

公開収録では荘子くんが昨日見た原爆ドームの話をして、しかもその「美的な」ありかたについて話していたので、内心かなり緊張しながら相づちを打っていた。ダークツーリズムやミュージアムの話に繋げながら、われわれが非当事者である前提を確認したりしたが、そういう良識的なフォローの空しさに気づいて後で反省した。なにより彼は現地に行っていて、僕は行っていないのだ。

恵汰さんと静文さん、荘子くんと車で広島市街のホテルに移動し、みんなでチェックインをする。歩いて鉄板焼き屋さんで4人で打ち上げ。気づいたら僕の財布がなくなっていた。

ホテルに戻って風呂に入って、僕の部屋で荘子くんと次に公開されるシットとシッポのタイトルを考える。僕が仮で「シットとシッポとギター」にしていて、まあまあなもののばらつきが後から面白く見えるのも日記的でいいじゃんと適当なことを言ったりしていたが、本当は早く寝たかっただけだ。

2日の朝、4人で車に乗ってうどんを食べて広島駅前の駐車場に車を返して新幹線に乗る。荘子くんはずっと頭を揺らしながら曲を作っていたが、僕は10行ほど原稿を進めたところでスタックして本を読んだり外を眺めたりしながら気を紛らわせていたが、途中で観念してもう3日待ってくれと編集者にメールした。

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