8月10日

青森滞在最後の夜。大和田さんは制作中に起こった、炭酸水のボトルを開けたら酸がコンクリートの天井まで飛び散り、しぶき状の白いクエン酸カルシウムの痕が残ったというアクシデントを会場で再現し、「雨」という作品にするため、水、石灰、クエン酸の割合をハクくんと実験していた。5時頃にいちど「リハ」を行い、ペットボトルの蓋を開けると叩きつけるようなすごい音がして良い具合に飛び散った。これをもういちど展示室でやるだけなのだが、彼はずっとそわそわして、大城さんが作ったスパイスを漬けた酒を飲んでからやると言ったり、煙草を吸いに出ると言って別のことを思い出したり、結局9時頃になってやっとやることになって、スタッフと作家が集まってきた。無事「雨」は完成して、彼も納得したようだった。あの4時間は何だったのか。彼を見ていると何も進んでいないがいろいろ動き回って考えている時間が多い。

宿泊棟のボイラーが故障し、隣の敷地にある公立大のゲストハウスで寝ることになる。雪山にある大きなロッジのような建物で、吹き抜けの広いラウンジにソファーとテーブルが並んでいる、が、他に誰もいないのか建物全体に熱が籠もっていて、結局ここも暑いのかと思いながら苦労して自分の部屋を探す、が、入ってみるとキッチンと4人掛けのダイニングテーブル、コの字型の大きいソファ、寝室が三つあり、部屋が家だった。

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8月9日

十和田のホテルで目が覚める。朝食会場に降りると席が埋まってしまっていて、20分ほども待ってやっと食べることができた。ビュッフェ形式なのだが6つに区切られたお皿にぜんぶで6つのおかずやサラダをいれていくだけで、自由が偽装されている。フリーなのはオプションだけだ(納豆をつけるか否か、ご飯をミニカレーにするか否か……)。悠さんと十和田市現代美術館の展示を見て、八戸の市場を見ている永田さんに合流して、それぞれ魚屋の海鮮丼とみんなで1枚板うにを買って分け合って食べた。いくつか妻にお土産を買って市場内のヤマトの営業所から家に送って、次の市場に移っている永田さんに追いつくと、3時で閉まってしまったようでみんなで八戸市美術館を見ることにする。十和田は小部屋が乱立する、塩田千春的なオールオーバーなインスタレーションに合わせた美術館という方針が明確に表れているのに対して、八戸はなんだかモダンな広大さの余地を見せようとして結果としてシュリンクして見えるどっちつかずの美術館に見えた。「ジャイアントルーム」もぜんぜんジャイアントではなく、せいぜい馬車道のゴールドジムのウェイトエリアと同じくらいだ。そしてマシンやラックを彫刻だとすれば、後者のほうが平均滞在時間も長く、ひとつひとつの作品への没入度も高いし、監視員の作品理解も深い。といったことを考えているあいだみんなでカフェに移ってお喋りしていて、夕方に東京に帰る悠さんを八戸駅まで送った。ひとりでACACまで帰らねばならない。昨日の山道はもうこりごりなので高速に乗るルートで帰ろうと思ったら入口がETC専用で入れず、下道で隣のインターチェンジに行こうとするのだがどうしてもナビもGoogleマップもさっきの入口から高速に乗せようとしてきて、なんども迷いながらようやく高速に乗る。片側2車線になったり1車線になったり、60キロ制限になったり80キロ制限になったり、どこが何の入口で何に対してお金を払ったのかわからなくなりながらしつこく粘る夏の夕闇を振り切って北上する。私のハイビームに照らされる反射板だけが『もののけ姫』の木霊のように合図してくれる。バックミラーとサイドミラーの中はまったくの暗闇で、背中にぴったり無が張り付いているようだった。音楽をかけたいが停まる場所もなく、潜水するようにひと息で青森市街に出る。宿に戻ってテラスに寝そべる。星は地元のほうがきれいだなと思ったが、それはさんざん自転車を漕ぎながら見た夜空を想定しているからで、しばらく見ているとどんどん星で空が埋め尽くされていった。これなら15分くらいで流れ星も見えそうだと思って煙草を吸いながら見ていると、本当にきっかり15分でひとつ見えた。

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8月8日

大和田さんがレクチャーのためひと晩だけ東京に帰り、レンタカーを借りて悠さんと十和田に滞在している永田さんのところに遊びに行くことにする。青森市街から南に向けて八甲田山を上ると急に開けた高原に出る。雲がかぶさるほどのところまで上る道の両脇にぽつぽつ温泉宿があり、下りに入ると分厚い木立に囲まれ、まだ昼なのに自動のヘッドライトが点灯する。ラジオはかき消され、森の湿気にフロントガラスは曇り、他の道と交わらずひたすらくねくねと急なカーブを曲がりながら山を下っているとだんだん怖くなってくる。ようやく人気のある景色に出てしばらくすると十和田市街に着き、美術館の野外彫刻を見ていると永田さんから集合場所のメールがある。行ってみるとそこは大きい木造一軒家の税理士事務所で、悠さんがおそるおそるチャイムを鳴らすと永田さんが出てきた。そこは普段もう使われておらず、アーティストの宿になっているらしい。永田さんは十和田湖のヒメマスを捌いているところで、青森の野菜をいくつかつまみ食いさせてもらう。驚くほど安くておいしい野菜がいっぱいあるらしい。十和田のキュレーターチームの人たちやパフォーマンス・アーティストの筒さんもやってきて、会ったときと分かれるときとでぜんぶで8回くらい突然押しかけてすみません(でした)と言った気がする。普段突然押しかけることがないので、言えるのが嬉しかったのだと思う。青森の野菜とヒメマスを使った永田さんの料理はどれもおいしかった。名前を忘れてしまったが、アスパラガスとクレソンのあいのこみたいな野菜のソテーがコクがあってとくにおいしかった。悠さんとホテルに向かいながら、1週間ぶりに冷房の効いた部屋で寝れますと言った。

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8月7日

暑さのピークは関東と変わらないが涼しくなるのはやはりこちらのほうが早いらしく、夜の気温は下がってきて、山ではもう秋の虫が鳴いている。これまで四六時中汗をかいていて膝の裏があせものようになりかけていたのだがそれも引いた。夜寝て朝起きているし、横浜にいるときはクーラーで神経が失調しかけていたので、10日間かけて緩慢なサウナに入っているとも言える。昼に大和田さんが呼んだ山本悠さんを新青森駅にまで迎えに行って、ご飯を食べて地元のギャラリーでLINUSの展示を見た。大和田さんと悠さんはねぶたが海の上を回ってそこで花火を打ち上げるのを見に行って、僕は暗い自室——玄関と洗面台にしか照明がない——からzoomで郵便本講読に参加した。帰ってきたふたりとテラスの床に寝ころんで喋った。

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8月6日

また大和田さん、ハクくんと石をハンマーで割り、篩にかけ、飛び散った石や粉塵を箒とちりとりで集め、残ったものをまた割り、というのを繰り返し、夕方にやっとひとつの27キロの石がすべて砂になる。篩の目を2段階に分けて、さらさらした「海」の砂とひとまわり大きい「川」の砂に分ける。篩はこないだの作業のあとホームセンターの園芸コーナーで新たに買ったもので、それまでは料理用のザルを使っていたのだが、これによって作業の効率が飛躍的に上がる。三人で篩というもののすごさに興奮して話す。ザルは液体と固体を分けるが、篩は固体を等級に分けるもので、ふたつはぜんぜん違うものなのだ。ハンマー、箒、ちりとり、篩で山から海へ。砂を水とクエン酸と混ぜて圧をかけ炭酸水を作り、それを鑑賞者に飲ませる。3人と大城さん、武田さんと寿司を食べに行き、石が割れたお祝いをする。酒を飲んでいない僕がハクくんの車を運転して彼を見送り、残った4人で近くの温泉に入って山に帰った。

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8月5日

谷底に向かってつんのめるような宿泊棟のテラスに、朝になるとカラスがやって来て、夜のあいだに立面を覆う大きな窓のガラスに衝突して死んだ虫を掃除する。森の夜に出現する光の板は虫の恰好の死に場所で、カラスの食べ残したアブ、カミキリムシ、カナブン、カメムシ、蛾等の死骸はアリが運んでいくので、煙草を吸いに出るとテラスの床は奇妙なくらい綺麗なままだ。カラスが去るとキツツキが木を突く硬い音が聞こえてきて、陽が高くなるとともに種々の蝉が鳴き始める。創作棟に向かってくねくねと坂道を上がると、アスファルトに出てきてしまったミミズが死んで干からびている。テラスに来るアリは大きくて黒いが、そこには小さくて赤いアリが集まってくる。アリは何か作業の途中に死骸に行き当たるのか、砂粒や枯れた松の葉を死骸の周りに置いていく。よく見て歩くとアスファルトのそこここに、砂と葉っぱが集まった手のひらほどの大きさの斑があって、かつてそこでミミズが死んだのだとわかる。つまり、アリは確率的に出会った物を確率的に持って歩き、何か別の物を見つけると確率的にそれを降ろしたりするのだが、その個体の確率的な痕跡が確率的に他の個体に対して道として作用し、結果的にミミズのような大きな獲物に収束するわけだ。この森にいると哺乳類はレアなのだということがよくわかる。

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8月4日

2時間ほどで起きて、そのまま朝まで連載の原稿を書く。起きてきた大和田さんがオープニングに着るためのDinosaur Jr.のTシャツを探していて、僕も中学のときGreen MindのTシャツ着てました(あの女の子を見るといつも『ダンス・ダンス・ダンス』のユキを思い出す。ちなみにこの小説は、雑誌の広告記事を書いていた主人公がこれからは「ただの散文」を書くのだと決意して終わる)と言って、しばらくそういう音楽の話になる。原稿はなんとか約束の午前中にできて、編集者にメールで送ってから日記を書く。みんなで山を少し登ったところにある木造一軒家のカフェに行って、上品なおばあさんがひとりで作るまげわっぱに詰められた優しいランチを食べて創作棟で公立大のハクくんと合流して、大和田さんが山から引きずり降ろした石灰岩を一緒に砕く。炭酸水を作るために砕いて表面積を増やすのだ。山の岩から海の砂になるのを数日で人力でできるわけだから、地質学的な力は案外弱いのだと大和田さんが言う。とはいえ作業は過酷で、安藤忠雄的に直線的な野外の廊下に敷かれた板の上で太陽に焼かれながらハンマーで岩を砕き、篩にかけて砂を選り分け、残った岩をまた砕くのをえんえん繰り返す。そういう地獄がありそうだ。巻き上がる粉塵にハクくんが海みたいな匂いがしますねと言う。海が石灰岩の匂いなのかもしれない。

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8月3日

暑いのでどうしたって朝起きる。長細い宿泊棟は日中の日差しでオーブンのように天井、壁、床に蓄熱するので、どこも暑いが広いラウンジと狭い客室とではまたぜんぜん室温が違う。みんなは創作棟に移って、ひとりでラウンジに残って原稿を書く。昼に大和田さん、大城さんとで武田さんの車に乗せてもらって定食屋に行って、同じメンバーで夜はビッグ・ボーイで大俵ハンバーグを食べた。朝起きてちゃんと仕事をするとあっという間に一日が終わる。夕食の後も作業をするつもりが、部屋に帰って横になるとそのまま寝てしまった。

連載の書き方が決まっていく経緯が僕としてはおもしろかったので、忘れないうちに書いておく。内容ではなく純粋に量的な観点の話だ。まず、だいたい1年間毎月1万字書けば本1冊ぶんにはなるだろうということで編集者と話がまとまる。どうやって毎月1万字書くかと考えて、3000字のエッセイなら3つ、あるいは2000字のエッセイであれば5つ書けばよく、各回を3つか4つのセクションに分割することを思いつく。つまり、1年かけて3000字のエッセイを36個書けばいいのだ。これならできそうだ。しかしそうすると各回のテーマ的な統一性をどう確保するかという問題がある。たんにバラバラではしょうがない。このあたりまでが実際に原稿を書き始めるまでに考えていたことで、初回のドラフトをとりあえず思いつく順番に書き、行き詰まったところでセクションを切って別の話題を書いたり、前に書いたものをなおしたりする。そうしているうちに立ち上がりとトーンが決まってきて、初回は3つのセクションで言葉−物−言葉とテーマを往復するようなかたちになりそうな気がしてくる。それで、各セクションにA-1, B-1, A-2という見出しをつけることにして、連載自体のタイトルを「言葉と物」(!)にすることにする。第2回を書くまではテーマの系列がC, D…と増えていく可能性も考えていたが、できあがってみるとB-2, A-3, B-3というかたちになり、これはもう、タイトルも「言葉と物」だし、ABA/BAB/ABA…と続けていくのがよさそうだと思う。つまり、奇数回は「言葉」を主軸に「物」の話がエピソード的に挟まり、偶数回はその反対になるわけだ。というか、この形式であれば伏線やら展開やらを無理に考えなくても勝手にそう読まれるようなものになるし、どこかが浮島になってもそれはそれでいい。その気楽さが気に入っているところだ。とはいえずっとこのかたちでやるのもどこかでキツくなってくるかもしれないし、そうなったらひとつの話題でまるまる1回を書いたりして気分を変えるだろう。

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8月2日

青森空港に着く。空港は山のてっぺんを切り開いて作られていて、わざわざ迎えに来てくれたACACの武田さんにお礼を言って、彼女の車でくねくねと山を下り、そのまま別の山に入ってACACに着く。野外劇場を囲む円形の展示棟、枯れた川をまたぐ橋のような直方体の創作棟と宿泊棟が森の斜面に隠されるように段々に並んでいる。安藤忠雄の建築らしい。当時の青森は夏も涼しかったので冷房がないのだと武田さんが言って、なんで教えておいてくれなかったのかと大和田さんを恨んだ。彼は創作棟で公立大から手伝いに来ているという元気な若者をともなって山から下ろした石灰岩を砕いて砂にして炭酸水を作っていた。会うなり飲んでみるかと聞かれ飲むと冷たくておいしかった。今回は炭酸水を鑑賞者に飲ませる作品を作りたいのだが、まず保健所の許可を取る必要があり、かつ、それを瓶やペットボトルに封入すると製品というカテゴリーになるので(密封しなければ料理だ)、工場としての資格を得ねばならないのだという。彼と会うといつも彼の途中に巻き込まれる。7ヶ月の赤ちゃんと遊ぶ機会を得て、キューブ状のぬいぐるみを渡し合って遊んだ。夜、大和田さんと大城さんとバスで街に下りてねぶた祭を見に行くことにする。締め切りを破っている状態だがこの際いいことにする。飲み物や食べ物を買い込んで帰ってきて、真っ暗な谷を見下ろす風呂でシャワーを浴びて寝た。

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8月1日

早起き。というか、夜に「昼寝」をしてそのまま起きていて、開店に合わせて珈琲館に行って3時間ほど原稿を書く。家に戻って荷物を準備していると大雨が降ってきて、青森行きの飛行機が時間通りに飛ぶかわからないという連絡が来る。アプリでアパートの前にタクシーを呼んで横浜駅まで行き、状況をツイッターで検索しながら京急で羽田に着くと、保安検査所の前に人だかりができている。1時間前の飛行機もまだ飛んでおらず、一次的に閉鎖しているらしい。どれだけ待てば飛ぶのかどうかもわからないので早々に諦めてアプリで予約を明日に切り替えて家に帰った。もう雨は止んでいて、京急の車両から白いマンション群を眺めた。実際予定の1時間後には飛行機は飛んだようで、それならぜんぜん待てたのだが、そういう問題でもない。それで、今、昨日と同じドトールで日記を書いている。

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