8月20日

元町にある2度目の美容室に髪を切りに行く。どうするかと聞かれて、がっつり切ろうかなと思って、暑すぎるのでと言う。横と後ろは1センチくらい、トップは2センチくらいで、最近よく見るフェードみたいにかっちり刈るのではなく、伸びかけの坊主みたいな、どっちかというとパンクの人がするようなざくっとした感じにしようと、カタログを見ながら話し合って切り始める。美容師はニューバランスのスニーカーの型を(忘れました。スエードがぼそっとしているのが気に入って)、ズボンのブランドを(ATONの毎年出ている型で、ストライプシャツの生地をそのまま使っています)、靴下のブランドを(MARCOMONDEっていう日本のブランドで、昔からよく買っています。プレゼントにもいいですよ)聞いてきて、服の話になる。僕は毎日のようにセレクトショップやブランドのサイトを回遊するくらい服が好きなのだが、普段誰ともそういう話をしないのでいきおい話し込んでしまう。気付くともう切り終わっていて、顔に無数の短い髪が張り付いたまま、眼鏡を着けて鏡を見る。変ではなくて安心した、というか、髪が短くなったからってそんなに変わらないものだなと思った。シャンプーをしてセットしてもらって店を出る。髪を短くしようと思ったのは、なんというか、いろんな意味でごまかしが効かなくなる年齢にこれから突入していくなと思ったからだ。若者らしい暗さに寄りかかっている中年を見るのはキツいし。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月19日

「言葉と物」はちょっとトピック先行で書きすぎている気もするので、ちょっと内容を整理してみよう。とはいえ、そういう書き方でもいいようにしている側面もあり、だからこそAとBをひとつの回のなかで行ったり来たりできるようにしているのだった。いきなり話が逸れるが、僕はもう、最終的には、僕がそう書いたということ自体が内容なのだと思っている。もちろんその外側(?)に、主張なり論理なり形式なり文体なりがあって、僕はそれに筋を通そうとするわけだが、その成否よりそれを僕がやっているということのほうが、本当は大きいはずなのだ。これは僕が偉いとか、「この人を見よ」ということではなく、歴史とはそういうものだと思い始めているということだ(「この人を見よ」って結局そういうことなのかもしれない)。たとえば昨日の日記にはマティスの作品について具体的な考察は一切書かなかったが、それは100年後から見て、一介の批評家が2023年に書くマティスについての思いつきより、昨日書いたような一日があったということのほうが歴史的に重要だろうと思っているからだ。一方でそれは「資料的価値」と同じではなく、なんというか、誰にも所有されないものの価値だ。他方でそれは、僕が考えていることより僕に起こっていることのほうが大きく、広いということだ。このふたつは同じことのように思う。ぜんぜん違う話になってしまった。「言葉と物」の整理は原稿のほうでやろう。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月18日

妻が恵比寿の病院に検診に行くので付いていって、待っているあいだ銀座という喫茶店で日記を書いた。そこで合流して広尾まで汗だくになりながら歩いて、有名らしいハンバーガー屋でご飯を食べた。カフェに入ってこのあとどうするか話す。マティス展が土日で終わるので見に行くことにする。日比谷線で上野に出て、暑い公園を突っ切って東京都美術館に着くとすごい人で、チケットを買うのに30分ほど並び、時間ごとの入場者の整理で並び、チケットを見せるのにまた並び、やっと会場に入ると主催者の「ごあいさつ」を読んでいる人と最初の自画像を見ている人でほとんど入口がふさがり、内覧会に呼ばれない人間がこういう展示にそれっぽい批評を書くことの空しさを想像した。それぞれの絵に近づくにつれて遅くなっていく人流になんとか付き合って見ていると、すぐ後ろから女の声で「また人の頭だよ」と言うのが聞こえて、その奇妙な言語感覚に危険を察知する間もなく作品リストで頭をピシャッと叩かれた。見ると化粧をしていないパーカーを羽織っている中年の女で、特段こちらをにらみつけているわけでもなく、そのまま彼女の視界の背景に滑らかに溶け込むように小さい声ですみませんと言いながら静かに一歩退いた。少し離れて見ているとまだときおり虫を払うように顔のまわりで作品リストを振って何か言いながら真正面から絵を見ており、トラブルにならないといいがと思っていると彼女の脇に微妙に頭を垂れた男が立っているのが見えた。おそらく彼女の夫で、トラブルにならない限りはそっとしておきながら、何かあったら引っ張っていこうとしているのだろう。絵にも女にも曖昧な角度に体を向けている。とりあえず大丈夫そうだ。巻き込まれたら大変だし心配されてもしょうがないので、妻が別のところにいてよかったと思った。「また人の頭だよ」ってなかなか言えないよなと考えながら絵を見て、色彩がテーマの展示だが黒が面白いなと思ってフランス窓の作品や画家とモデルを描いた作品をゆっくり見たのだが、図録を買ってレジに並ぶあいだ読んでいるとキュレーターが黒について書いていて、なんだ、先回りされていたのかと思った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月17日

煙草が吸える席がある、関内の高架を越えたところのカフェ・ド・クリエで作業をする。長い白髪を後ろでくくってその上にバンダナを巻き、その上から色のあせたキャップをかぶっているおじいさんがJapan Timesを読みながら英語でノートを取っていた。その書きぶりからしてこの人は日常的に英語を使っているのだろうと思った。いでたちも「純日本」的な生活圏で行き着くパターンのものではないし。するとカタコトの日本語で、もしよろしければ、こちらもお盆が明けたばかりでスケジュールも空いておりますのでそちらのご都合のよい日に、もしご興味ありましたらそちらに伺いたいのですが、と電話をする声が聞こえてくる。ちらっと見るとひょろっとしたトルコ系か南欧系に見える男で、完璧な構文と危なっかしい発音が不釣り合いで何かを読み上げて留守番電話にかけているのかと思ったがはい、ええ、と受け答えをしている。もう留守番電話なんてしないのだ。いろんな人がいる、このあたりはいろんな国の人がいる、いろんな国の人が様々な土着性と国際性の度合いで暮らしている、いずれもいろんな国の人がいるが「関外」は土着性寄りで「関内」は国際性寄りだと思ったが、僕もフランス語の本を四角張った熟語に訳した言語体系と闘っているのだった。いったい誰が言表行為の集合的アレンジメントなんて言うのか。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月16日

疲れていたのか、昼に起きてご飯を食べて寝たら夜になっている。朝までに返さなければならない「言葉と物」第4回のゲラをチェックする。各セクションあと2段落ずつくらい踏み込む必要を感じるが、まあこれは究極的には書籍化のためのメモ書きなのだと思って校閲からの指摘に丸をつけていってそのまま返してしまう。それに連載を続けるという観点からだけ見れば、物足りないくらいがちょうどいい。初回の原稿もこんなにユルユルでいいのかと思っていたのだが、ちょうど見ていた千葉さんと坂口恭平さんの対談で作り手が自信がないと言うものにしか興味がもてない、自信があるということは既存の基準に乗っかっているということだから、というような話がされていて、たしかにそうだと思ってそのまま出したのだった。僕もこれだけ日記を書いてきたのでなんとなくわかるが、長く書くということはクオリティをどれくらい下げられるかという闘いでもある、というか、これがクオリティだと思うことによって生まれている自分のなかの固着を痛みとともに剥がしていくことでもある。とはいえ今回のはちょっとあんまりだと思うのだけど。まああとで拾いなおしてもいいし、その判断を未来の自分に任せていいというのは日記にはないメリットだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月15日

博論本は最後の章の書きなおしに入っている。青森にいるあいだ思いつく端から直接エディタに文章を書いていて、それが4000字くらい溜まってはいたのだが、ちょっと頼りなく感じていた。数日前に大枠の構想を思いついて、こんどはworkflowyでタイトめのプロットを組んでいる。これまでの章とくらべてもいちばん博論版と異なる内容になりそうだし、これで詰められるところまで詰めるのがよさそうだ。最後の第6章は共通感覚批判、心身二元論、芸術・他者・表現論の大きく分けて三つのテーマを遷移する。三つはそれぞれ能力論、言語論、哲学論(哲学とは何か)と言い換えることもできて、ここまでの章で論じてきたことを別の角度から綜合するものになる。まずは「ポスト構造主義」哲学とは詰まるところ共通感覚批判の哲学なのだと言ったうえで、第1章でドゥルーズの共通感覚批判から出発したことを歴史的に位置づけなおしつつ、『存在論的、郵便的』以降の否定神学批判の論脈を「複数的な超越論性」とは別のしかたで再評価する。それはひとことで言えば有限性の唯物論で、「逆感覚」はネットワークの原理的かつ物理的な不完全性として読み替えられ……

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月14日

シェアバイクで馬車道駅まで出てしまえば、そこから練馬までみなとみらい線−東横線−副都心線−西武池袋線に次々に乗り入れて1時間座っているだけで着く。おとついからスピノザ『エチカ』を1日1部ずつ読んでいて、車内で第3部を読み終える。ドトールで待ち合わせた大和田さんがちょうどおとつい日記で引用した『エチカ』が面白かったと言う。たしかに世界に20人の人間がいたとして、それが20人であることの原因は人間本性には含まれない。だから神がいる。本質に存在が含まれるのは神だけで、人間や事物の本質には存在も持続も含まれていない。人がひとり死んでも他の人が死ぬことはないが、ひとりの人間の本質が変形・毀損されれば人間全員の本質が一斉に変形・毀損される。本質のフォーマリズムと神的なマテリアリズム。形骸としての人間と質料としての神。Reading Spinoza, Making Soda. それで神がいないというのはどういうことになるのかと彼が聞いた。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月13日

夜、青森を出た大和田さんがなぜかACACの武田さんを連れて東京に帰っているらしく、明日みんなで遊ぼうと連絡が来る。大和田さんは彼女にすごく感謝していて、青森に来た人たちに東京で会わせたいと思ったらしい。練馬の南インド料理屋でいいかと聞かれてちょっと遠いけどまあいいですよと返す。妻に明日大和田さんと遊ぶことになったと言うと、おとつい帰ってきたところなのにと機嫌が悪くなってしまう。せっかく誘ってもらったからとか、武田さんには僕もお世話になったからとか、まだ夏休みはいっぱいあるからと言ったり、一緒に行くかと聞いたりするのだが、僕自身そういうことではないのだろうなと思いながらそう言っている。結局罪滅ぼしに(?)食器洗いやゴミ捨てをしているあいだに彼女は寝てしまい、頭のなかが言うべきだった言葉でいっぱいになる。いちばんのオプションは、断ったうえで誘いなんかなかったかのようにすることだ。しかしこれはどちらに対しても不誠実な感じがする、というか、家の中と外を別の世界にしてしまう。次に浮かんだのは、飲み込んでオーケーしてくれれば、僕も飲み込んでオーケーしていることくらいわかるし、それで今度はふたりでどこかに行ったりしようと思うわけで、そういうふうに回っていくのが信頼だし、一日お互い変な感じになるよりずっといいではないかという説得モードの言葉で、しかし会話の中でこの長い文を言うのはあまりに人工的な感じがする。考えはどうしてこんなに遊びに行くのが難しいのかということに移って、それは僕がよく遊ぶ人は突然集まって朝まで喋ったり、何日もよくわからないところに行ったりするからだろうと思う。これも仕事の延長だから、と言ってしまえばいいのか? それほどつまらないことはない。大和田さんがオープニングトークで司会からあなたの作品は「循環」がテーマになっているように見えると言われ、僕は循環というよりふたつの循環が接触するときの、たとえば炭酸水を嚥下するときの「ゴクリ」という音やある種の痛みの感覚に興味があって作っていると答えていたことを思い出す。誘いなんかなかったかのようにふたつの循環を分断するか、「家庭」と「仕事」のあいだを痛みなしにスイッチするかという二者択一はたしかに欺瞞的だ。僕は最初から、彼女をどう誘うかだけを考えるべきだったのかもしれない。とりあえずこの日記を読んでもらおうと思う。何も言わずに公開するのはよくないし。

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月12日

「例えば、もし自然の中に20人の人間が存在するとしたら[……]、なぜ20人の人間が存在するかの理由を挙げるためには一般に人間本性の原因を示すだけでは十分でないのであって、その上さらに、なぜ20人より多くもなく少なくもない人間が存在するかの原因を示すことが必要であろう。各人にはなぜ存在するかの原因が必然的に存しなければならぬのであるから、ところがこの原因は、人間の真の定義が20人という数を含まないゆえに、人間本性のうちに含まれていることはできない。」
スピノザ『エチカ』畠中尚志訳、岩波文庫、上巻45頁

「したがって一人の人間の存在が滅びたとてそのゆえ他の人間の存在が滅びるということはないであろう。しかしもし一人の人間の本質が破壊されて虚偽のものになるということがありうるとしたら、他の人間の本質もまた破壊されるだろう。」
同書、63-64頁

「なぜなら、物が存在していても存在していなくても、我々はその本質に注目するごとに、それが存在も持続も含まないことを発見する。したがってそれらの物の本質は、その存在なり持続なりの原因であることができず、ただ存在することがその本性に属する唯一者たる神のみがこれをなしうるのである。」
同書、69頁

「同じ本性を有する二つの実体は存しえない。ところが多くの人間が存在しうる。ゆえに人間の形相を構成するものは実体の有ではない。」
同書、104頁

投稿日:
カテゴリー: 日記

8月11日

滞在最終日で、展示オープニングの日。宿からACACまでキャリーケースを引きずって歩いていると、キャンパスの道の真ん中できれいな鳥が横たわって死んでいた。写真を撮って調べるとアカゲラというキツツキのようだった。宿泊棟のテラスから見える森のキツツキは体側に青い線が入っていたように見えたが、別の種類なのだろうか。ラウンジでみんなに合流して、隅のほうで日記を書く。大和田さんと大城さんとスタッフの車を借りて気になっていたラーメン屋に行く。何もない道の脇に立った簡単な箱形の店で、店主がひとりで並・大・特大だけのメニューを出している。くっきりしたスープで、ふたりはコンプレッサーをかけずにイコライザーだけで加工してローをカットしたような味だと形容していた。戻るとだんだん人が集まっていて、僕もゆっくりひととおり展示を見て、あらためて正式に製品化された炭酸水を飲む。オープニングトークの頃には50人ほども人が集まって、会場を回るあいだ僕はラウンジで涼んでいた。十和田でも会った永田さん、久しぶりの齋藤恵汰さん、荒木悠さん、中島晴矢さんが来ていて挨拶する。十和田や弘前からキュレーターもたくさん来ていて社交が始まる。大和田さんに街の人間が来ましたねと言って笑う。ACACの人と美術館の人はぜんぜん感じが違う。僕は基本的に美術館のキュレーターやギャラリストは嫌いなので適当に流していたが、それだけでどっと疲れ、とたんに帰りたくなってくる。僕が何かしたわけではないし、もともとそういうものなので変な話だが、見世物じゃないんだぞと思う。誰かの子供が寄ってきて一緒にルービックキューブで遊ぶ。打ち上げに20分だけ参加して、空港までACACの慶野さんに車で送ってもらう。彼女が書いた原稿の話やニュージーランドで会った平倉さんの話を聞く。暗い山を抜けると空港があってカウンターに行くと出発が30分遅れるということだった。もう飲食店はすべて閉まっていて、お腹が空いたのでお土産屋さんにかろうじてあったじゃがりこを食べて飛行機に乗った。

投稿日:
カテゴリー: 日記