日記の続き#62

去年も日記を始めて2ヶ月ほど経ってから、1年やり切ったら次は各日記の虚構の「次の日」を書くんだとか、各日記を書き換えて別バージョンの1年ぶんの日記を作るんだとか、そういう謎の計画を立てていた気がする。それが流れ流れて、一方では日めくりカレンダー型の本を作るということに帰着し、他方ではこの「続き」を書くということに落ち着いた。本はともかくこの「続き」がなんなのかいまいちまだピンと来ていないところもあるのだが、それもまあやっていくうちにどこかに落ち着くだろう。それで、いま妄想しているのは「続き」の次にやることで、「映画」を作るのがいいんじゃないかと考えている。そう思った理由は、博論の内容に関係することとか、蓮實重彦の批判からあらためて彼のやってきたことを考えたこととか、そろそろ学部を出てから疎遠になっていた映画に帰ってくるサイクルなんじゃないかとか、「日記映画」があるんなら日記の映画があってもいいんじゃないかと思ったこととか、いろいろあってぼやっとしている。ともかくこのサイトで映画を作るとしたらどういうものになるかを考えている。例えばこうだ。毎日更新するという方針は変えない。ただし日々交互に、footageとscriptというふたつの種類のテクストを投稿する。おおむね前者は映像に、後者はナレーションに対応する。それを1年間続けたものを『映画』とする。こんどは出来上がったテクストのうち、たとえばfootageのダイジェスト版をパワーポイントファイルに貼り付け、scriptのダイジェスト版を読み上げた音声ファイルをそのページに埋め込む。それを.ppt拡張子のまま『ファスト映画』という名前で公開あるいは販売する。これは結構愉快だと思う。

日記の続き#61


昨夜、というよりもう明け方なのだが、布団に入って体はもう眠っていてじーんと痺れるような感覚があるのに頭はまだ冴えているような、勝手に「ヴァルドマール状態」と呼んでいる状態(金縛りにはなったことがない)のときに、どこかで重たいドアが開くような音がした。それはレントゲン室や防音室のドアのような、開けると同時に空気が滑り込んでいくような音で、半分寝ていたからかその音が妙に生々しく、自分の臓腑が気圧差に引っ張られていくように聞こえた。しかし玄関のドアが開いたわけでもないし、他にそんなにはっきりと聞こえるほど近くにドアがあるわけでもないし、何の音なのだろうと思っているあいだに寝ていた。
別の話。イヤホンにはノイズキャンセリング機能も付いているけど、「アンビエントサウンド」という周囲の音を取り込む機能も付いている。あまり使うことはないがイヤホンを着けたままコンビニのレジに行くときなんかに使っていて、今日は作業の帰りにタバコを買うときに使ってからオンにしたまま歩いていた。走り抜ける車の音や自分の足音や衣擦れがとても平板に聞こえて、なんだかSEを貼り付けられているゲームのキャラクターになったみたいだと思った。階段を上がると階段を上がる音がする。

日記の続き#60

いつもちゃんとパソコンで書いているのだが、今日はなんとなくスマホで。ここ2週間ほど日記本にまつわるいろいろでバタついており、たんにやることが多いだけでなく雑多な物体の移動をともなうことなので部屋も散らかり気味になり、いまメインで取り組んでいるところの博論本の執筆からもちょっと距離ができてしまっていた。そろそろ仕切り直そうと空になったまま転がしていた段ボール箱を畳んでまとめ、梱包材を集めてゴミ袋に入れ、カッターやら領収書やらが散らばった机の上も片付けた。スマホの「集中」というアプリを使って、1時間単位で集中して作業を進める。ちょっと手が止まった数秒の隙間に手遊びでウィンドウを切り替えたり、エディタを意味なくスクロールしたり、その惰性でメールを見たりしてしまう。体がまだ集中に慣れていない。それは本当に数秒の隙間なのだ。そこにいる悪魔を締め出すためにはセルフ・ディシプリン、セルフ・モニタリングを援助する聖具が必要になる。でもそれはあくまで「リハビリ」のためであって、聖具に囚われてしまってもしょうがない。たとえばこのアプリにはログの機能も付いているが、これを大事なものだと思いすぎるとかえって数日のサボりによってログが「汚れる」ことが気になってしまい、かえってアプリを使わなくなってしまったりする。腰の重さと手癖の悪さのあいだに集中はあるが、それは前者で後者を、後者で前者をはぐらかすような微妙な運動としてある。書いてみたらスマホでもこれくらいの文章ならストレスなく書けることに気がついた。これもまた手による腰のはぐらかしか。

日記の続き#59

6月4日。30歳の誕生日。24歳だった気もするし、15歳だった気もする。今日はコメダで作業をしていると3時で時計が鳴って「ダニー・ボーイ」が流れてきて悲しい気持ちになった。外を歩いているとウーバーイーツの自転車のハンドルに指を広げたくらいの大きさの傘が付いていて、まさかと思ってスマホで「スマホ 日除け」と検索するとそれと同じ、スマホスタンドにちっちゃい傘がくっついたものが売られていた。そういえば去年の日記のどこかに、コメダの喫煙ブースで配達員が話していいて、夏は日差しでスマホがダメになって大変だと言っていたと書いた気がする。最初彼らはPがどうとかDがどうとか言っていて、なんだろう、テレビ関係者なのかなと思って聞き耳を立てると配達員らしく、PとDはどうやら「ピック」と「ドロップ」のことのようだった。受注から配達までスマホひとつでできるようになっても夏の日差しには勝てないのだ。それにしても、食べ物の配達を「ドロップ」と呼ぶのはさすがに即物的にもほどがあるのではないだろうか。たぶん英語ではタクシーで人を降ろしたりするのもドロップと言うのだけど、食べ物もそうなのだろうか。ウーバーイーツが配車サービスのウーバーから来ていることは関係あるのだろうか。日本語だと「置き配」が一般化したけど、届け物を「届ける」のではくドロップしたり置いたりする即物性と、スマホをダメにする日差しの即物性は、どこが似ていてどこが違うのか、とか。

日記の続き#58

ツイッターで流れてきた(真面目なほうの)スポーツ誌『Number』の記事を開いてみる。棋士のインタビュー。内容より記者の手つきのほうが気になった。こういう作り方の記事は人文系、美術系の媒体ではぜんぜん見ない。インタビューというより取材ルポのような書き方で、取材に至った経緯、相手の様子の描写、記者の心情のなかにときおり相手の発言が鉤括弧で括られて挿入される。『眼がスクリーンになるとき』を出したときに朝日新聞にインタビューを受けて、それが記事になったときに感じた驚きを思い出した。文脈の設定、直接話法と間接話法の使い分け、そこに加えられる注釈や考察。ほとんど哲学の論文の書き方と同じだと思った。われわれもテーマを提示し、文脈を抑え、直接話法で言質を取りつつそれを間接話法にスライドさせ、注釈し図式化し、もとのテクストから新しい相貌を引き出す。いわゆるドゥルーズの「自由間接話法」的なスタイルはこれらの各ステップの段差を極端に圧縮し滑らかにしたもので、どこまでが引用でどこからが介入なのか読者は容易に解凍できない。でも生身の人間を相手にこういうことをするのは全く別種の難しさもあるんだろう。ちょっとやってみたいけど取材したい人が思い浮かばない。(2021年6月8日)

日記の続き#57

日記についての理論的考察§11各回一覧
今回は歴史について。日記の歴史というと日本は日記文学の国だということで、『土佐日記』とか『更級日記』とか、そういう平安期の日記がいちばんに想起されるだろう。でも僕としてはそういうものより、近代以降の「制度」としての日記に興味がある。ここまで書いてきた〈イベントレスネス/イベントフルネス〉と〈プレーンテクスト/メタテクスト〉というふたつの軸が直交する地点にあるものとしての日記の(二重の)両義性は、日記の制度化と切り離せないだろうからだ。
さて、僕もまだ勉強を始めたばかりなので、今回はいわゆる「サーベイ」(いつもバカみたいな名前だと思う)の報告みたいな感じになる。近代日本と日記というテーマについては田中祐介の2冊の編著、『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院)と『無数のひとりが紡ぐ歴史』(文学通信)が必読だろう。とりわけ2冊ともに寄稿している柿本真代の論文は、明治期の小学校教育と日記の関係を論じたもので僕の関心に近いものだった。そこからさらに遡って、柿本のいずれの論文でも基礎的な研究として参照されている高橋修の「作文教育のディスクール:〈日常〉の発見と写生文」(『メディア・表象・イデオロギー:明治30年代の文化研究』、笠間書店所収)という1997年の論文を手に入れて読んだ。
この高橋の論文では、小学校における作文が、明治30年代つまり20世紀のド頭において日常を「ありのままに」書くことを称揚し始め、それは日記という形式が一般化したことにも表れていると論じられる。日記はいわゆる規律訓練型の権力を家庭での生活にまで浸透させると同時に、予備軍としての「小国民」の教化に寄与する遠足・運動会を題材とさせた。日記は私生活と国民意識の蝶番になっていたのだ。同時期には正岡子規の「写生文」が文学的なムーブメントとなり、雑誌『ホトトギス』では読者から日記が寄せられ、子規はコメントとともにそれを掲載した。高橋は日記の「イデオロギー装置」(アルチュセール)としての側面と新たな文学的表現の可能性という側面を分けて考えているようだが、そんな簡単な話なのか、というのがいまのところ手にした問い。

日記の続き#56

午前11時半。京都駅に向かう新幹線の中。ツイッターでおすすめされていたUAの新譜が素敵で、繰り返し聴いている。聴いていると自分の心が、たくさん泣いたあとみたいに湿ってふやけていることに気がついた。音楽がすっと入ってくるときはそういう気持ちになっていることが多い。逆のほうが正確かもしれない。薄荷の涼しさは泣きやんだ目元を撫でる風の涼しさだ。もうすぐ30にもなるのに、僕は自分の気持ちのことをよくわかっていない。表情も乏しいし、人に気さくに話しかけることもできない。お酒も飲まないし、カラオケも苦手だ。ひとりになるとほっとするし、平日の昼に思いきり昼寝できるいまの生活を気に入っている。たぶん僕の頭のなかはあまりに文語的で、家で彼女がひっきりなしに話すことのほとんどにまともに返答できない。誇張なしに15秒にいちどくらい話題が変わるのだ。それで聞いてるのと言われるので、マンガで吹き出しの外に「ぺちゃぺちゃ」って書いてあるやつみたいに聞こえるんよと言う。それはわれわれの親密さ——抽象名詞!——を確認するやりとりなのだが、なんでこんなに違うんだろうと思う。何か話してと言われるのだが、頭の中は言葉でいっぱいなのに、鼻歌で歌えたものがカラオケだと歌えないみたいに、何を言っていいのかわからなくなる。そうやって何かが澱のように少しずつ心に溜まっていくのだ。僕は岡山から出て10年かけて自分の口語を殺してきたんだと思う。「〜なんよ」という、同郷の千鳥のおかげで書字に耐えうるものになった語尾だけ残して。

日記の続き#55

文体は無ければ無い方がいいと思っている。というか、文体とあえて呼ぶべきものがあるとすれば、それは自分の文章に出てしまっている凝りのようなものを引いて引いた先に残ってしまうものだと思う。いわゆるツイッター構文と呼ばれるもの、慣用句、ミーム、読者への呼びかけ、意味ありげな鉤括弧、ぜんぶ要らない。「少し重たい風に吹かれながら喫茶店に向かった」という文より「少し重たい風が吹いていた」と書いて次の文ではもう喫茶店にいる方がずっといい。風に吹かれながら歩いている自分を書くのではなく、風を書いたら歩くことが自動的に出てくるような書き方が理想だ。そうして凝りを摘み取っていくと、たとえば同じ文末が続くことがまったく気にならなくなってくる。文末や接続詞の操作によって演出されるのは実のところ書いている側の盛り上がりで、もちろん読者がそれに移入することもあるだろうけど、そういう共同性には先がないだろうとも思うし、書いていてしんどくなってくる。もちろんいろんなレベルにあるテンプレートを許さないと文章は書けないので、それを程度問題として捉え返す距離感が必要だということだ。それでも残ってしまうものとしてイディオムと付き合うべきだ。僕の文章では「剥がれる」という言葉がいい意味で使われることが多くて、「くっついてくる」はネガティブな意味で使われるのに、「両立可能」がポジティブな意味で使われる。そういう傾きに出くわすたびに、これにしがみつくことがこれを肯定することではないんだぞと思う。(2021年5月23日

日記の続き#54

日記についての理論的考察§10各回一覧
そう、テクストをプレーンに受け取ってもらうための鍵は信頼だ。こう言うとすごく当たり前の話に聞こえる。もうちょっと経済学的な言葉で「信用」と言ってもいい。ビリーフとクレジット。毎日書かれ、毎日投稿されるという信用がテクストを実体的——「実体経済」というときの「実体」と類比的な意味で——なものにする。ツイッターに溢れている、どんどん戦線が小さく小さくなっていくなかで加速するポジショントークは、メタレベルでの張り合いが通用する場としてのフィルターバブルと循環的に互いを強化する関係にある。フィルターバブルは言葉の価値の「バブル」を産むのだ。経済学的なバブルと違うのは小さくなるほど変動性が上がるということだろう。
しかし、つぶさに見てみると、ツイッターで起こる社会的・文化的な話の炎上は、たとえば芸能人の失言や失態に対して明示的な悪口が集中する炎上とは規模も質もぜんぜん違うように思える。インテリの縄張り争いは——インテリも亜インテリも変わらないと思う——メタな読みとプレーンな読みをそれぞれが自在にスイッチして、文字通りに読めばそんなこと言っていないとか、文脈や書き手の属性に照らしてこれはこう言っていることになるとか、字義性/解釈のメタ解釈のレベルでの闘争が起こっている。しかもそれは実のところ直接的な対決ですらなく、スクショを貼って嫌味を言うという形式が一般化していることに表れているように、あくまで言った/言われたを自陣に向けてアピールするためになされる。字義性という盾と解釈という矛。逆のほうがまだ知的じゃないか。

日記の続き#53

2日ぶん作ったバッファを早速1日消費して、今は5月29日の午前2時18分。これから寝て起きて、予約投稿機能を使ってこれを夜10時くらいに投稿することになる(ツイッターでの更新通知まで自動化されている)。今日は珈琲館で月末が締切のエッセイを書いた。中学生向けの本に収録されるもので、それだけでも僕にとっては結構なチャレンジなのだが、そのうえテーマが「平和」だ。中学生も平和論もぜんぜん僕に関係ないぞと思ったのだけど、どうやら20代の書き手を集めるという縛りまであるらしく、そうなるとたしかに思想・批評畑で人を見つけるのも大変だろうと思って引き受けることにした(僕は6月で30歳になっちゃいますよと言ったのだが、 92年生まれならセーフらしい。どこまでも狭いのかユルいのかわからない企画だ)。なんか変で面白そうだし。依頼をもらってからずっと頭の片隅でアイデアがぐるぐると回っていて、当然企画の念頭にあるのはウクライナでの戦争なわけだけど、べつに僕が言うことはなんにもないし、ましてや自分の半分くらいの年齢の人間を焚きつけるのは嫌だしと考えていた。それで数日前に、ホーソーンの「ウェイクフィールド」みたいに何か世界のエアポケットに入って、戦争でもコロナでもいいが、そういう世界的な大事件が起こっていることをまったく知らない人の存在をどう擁護するかというテーマで書こうと思いついた。僕らと同じように暮らしている普通の人だが、そういう情報を奇跡的に素通りしてしまっている人がいるとして、その人に今は戦争だコロナ禍だと教えることははたして善なのか。テーマは決まったが入り口が定まらない。僕がよくやる、突飛な概念図式をまず見せてから話を始めることが文章の性質上できないのだ。それで結局小説みたいな対話篇みたいな変な文章になった。読みやすくしようとして変な文章になるのは面白い。引き受けてみてよかった。タイトルは「100パーセントの無知な男の子に出会う可能性について」。