3月20日

水曜だが休日。春分の日。でも関係ない。あさって返す初稿ゲラをもう一巡、全体の半分くらい見返した。書き換えたセクションとの整合性を確認して、ペンディングにしていた箇所を確定して付箋を外していく。朝から晩まで。背中が強ばって、眼が痛くなる。でもここ2年くらいかけて、そういうことのやり過ごし方がわかってきた。最低限のストレッチ、最低限のマッサージ、最低限の深呼吸、最低限の仮眠。

「概念」と呼ばれるものが、どういうふうに作られるのかわかってきた。それはなにか別の作業の副産物として出てくる。ジグのようなものだ。何かを組み立てる。まだ組み立っていないものを支えるために、ジグが必要になる。組み立ててしまえばジグはもう要らない。それを誰かが、あるいは未来の自分が、またジグとして使うかもしれないし、あるいは別の何かの部品に使うかもしれない。そういうものだ。誰かがもういちど使うまでそれは概念ではない。これは「解釈の自由」とは異なる。解釈は解釈する対象との関係に依存するが、余ったジグを別のものに使うことは、もとの組み立てられたものに依存しないからだ。だから、たとえば、僕は『眼がスクリーンになるとき』を書いたあとで「リテラリティ」が概念のように受け取られたことが、嬉しくもあり、たんにドゥルーズの使っている言葉の、邦訳版でバラけていた訳語を揃えただけなんだけどなと思っていた。でもそういうものなのだ。

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3月19日

3日ほどかかって、『非美学』のあるセクションをまるごと書き換えた。そこさえ軽くなれば、あとは読者を引っ張っていけるだろうと言ってもらったからだ。そのセクションが重たくなっていたのは、専門外のことを扱っていて、書きながらそのつど足場を確かめるように書いていて、しかし読む側からすれば無駄にワーキングメモリを食うところもあり、要するに自分を守るための書き方になっていたのだ。書き換えるということはそういう自分の弱さに向き合うことでもあるし、それに時間がかかるということは、もったいなさや強情さが先に立ってそれができないというさらなる弱さに直面することでもあるし、幾重にも情けなかった。書き終わったあとは泣いたあとのような気分だった。あと3日で初稿の著者校正を返すことになる。

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3月18日

起きて、昨夜青椒肉絲を作って洗っていないままになっていたフライパンを洗う。鉄のフライパンで、焦げ付きがあったので、水を張って湧かして重曹の粉を入れる。たちどころにもうもうと泡が沸き立って、それが吹きこぼれないギリギリのところまで火を弱める。泡は内側に向かって細かくなり、中心に集まった焦げが底に吸い込まれていく。それをずっと見ていた。いつか炭酸が抜けきるのだろうか。抜けきるより前に目減りして茶色く濁った湯が底面で弾け始めたのでシンクに捨てた。

『存在論的、郵便的』講読は全15回の予定で、それで終われば前回が最後だったのだが、まだ最後の章の最後の節が半分以上残っていて、2回延長することになった。昼にはもう家を出て、とりあえず上野東京ライン——何も言っていないに等しい名前だ——で新橋まで出て、こないだのドトールにまた入って準備をした。それが終わってもまだ講読まで何時間もあって、あまりに一日が長すぎると思った。帰ったら12時で、歯を磨いて寝た。

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3月17日

デエビゴを飲み始めて劇的と言うほかなく生活リズムが変わって、あまりにあっさり変わるので自分はやはりバカなんじゃないかとさえ思っているのだが、一点、これまでほとんど見なかった夢を毎晩ふたつずつくらい見るようになり、しかもそれがことごとく悪夢である。といってそれが嫌なわけでもなく、GABAのチョコや安眠を促進する乳酸菌飲料が流行るたびに寝れるが悪夢を見るようになると言われているし、街で盛大に痰を吐いているおじさんを見てしまったくらいの、まあ、そういうものだよなと思う程度のことだ。それに内容もすぐ忘れてしまう。ひとつだけ覚えているのが、木のまな板からはみ出るくらい大きな、チョウザメのように表面がぬめっとした、黄色い魚を捌くことになっていて、頭を落とすためにエラをつかむと兜を脱ぐようにガバッと頭が外れて、その下からひとまわり細い頭が出てくる。ひるんでいると後ろから講師のようなひとが、それは「ネコノカシラ」という魚で、そういうふうになっているのだと言うので、僕は、ウマヅラハギというのは聞いたことがありますが、ネコノカシラは知りませんでしたと言った。

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3月16日

夜中2時半に起きて、朝寝る黒嵜さんと『非美学』ゲラ検討の2回目。僕は彼と「ひるにおきるさる」というメディア(?)をやっている(?)わけで、謎の後ろめたさもあるがともかくこの時間であればゆっくり話すことができて、こないだ同様5時間喋っていた。コメントをもらったのは第2章で、思えば、この章の原型の原型の原型は、2016年の秋に青山学院大であった表象文化論学会で発表したもので、そこには友達になったばかりの黒嵜さんも聴きに来てくれていたのだった(それが論文になり、博論に組み込み、書籍化される。それぞれ大きく書き換わっている)。僕は24歳で、黒嵜さん(28歳だ)と今村さんとろばとさんが一番前の席に座ってニコニコしていたのを覚えている。ひふみさんや大岩さん、いぬのせなか座の山本さん、鈴木さん、なまけさんに会ったのもたしかこのときが初めてだった。夜中、黒嵜さん今村さんひふみさんと行き場をなくして、僕はホステルのようなところを取っていて——当時まだ大阪に住んでいた——その狭いラウンジでしばらく喋っていたのだがそこで眠れるわけでもなく、彼ら3人は寝る場所を見つけるのが大変だったとあとから聞いて申し訳なく思ったのだった。

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3月15日

午後が余生のようで、新しい文章を書こうとしたがぜんぜん進まなかった。早起きのせいかもしれないし、隣の客の会話がうるさかったのかもしれないし、そもそも何が書きたいかわかっていなかったのかもしれない。しかし何が書きたいかわからないと書けないというのも変な話だ。日記を書いても普段の文章を書くのが楽にならないのは、ずっと謎としてあって、本当はなんにも変わらないはずなのだ。ずっと背負っていた博論本を書き終えてもエディタを開いたときの切迫感は変わらず、4月からフリーランスになることだし、このあたりで文章を書く手前にあるもの(あるべきと思っているもの)の整理をするべきなのかもしれない。オーバースペックというか、ガタピシしているというか、でもそれは同じことだろう。

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3月14日

起きてから昼に昨日の日記を書くまでのあいだに校正を進めて、それでとりあえず全体を一周するのが終わった。あとは付箋を貼ってペンディングにしている箇所を中心にもういちど見直して再校に回す。日記を書いてもまだ11時半で、これまでならまだ寝ている時間に仕事も終えてまっさらな一日がそのまま残されていることに嬉しくなった。早起きは素晴らしいと思って、discordに「早起きクラブ」というサーバーを立てて、誰でも来てくださいとツイッターで告知をしていると、3日早起きしたくらいではしゃいで子供みたいだと妻に言われた。時間がありすぎて夕方には何をしていいのかわからなくなり、本を読むためだけに珈琲館に行って、ミートソースパスタを作って食べてデエビゴを飲んで9時には寝た。

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3月13日

夕方から元町で散髪。早く着いたので前から知ってはいたが入ったことのない、山の手に上がる坂の入口にある小さな古着屋に寄ってみた。色が綺麗だと思ったアメリカ湾岸警備隊のシェルジャケットやジバンシィのシャツを試着させてもらうが、どうもシルエットが野暮ったくなってしまう。ハンガーに力なく掛かった、茶色の太い畝がついた薄く柔らかい生地のコーデュロイジャケットのしっとりした感触が気になって羽織ってみる。デニムジャケットのような形で丈が短く、ゆったり作られた——もともとXLなので——袖が前腕に向かってしなだれる。内心もう買おうと決めて鏡の前に立っていると、店員に90年代のディーゼルですねと声をかけられる。いまのディーゼルがいいなと思ったことはないけど、これはいいですね、形がかわいくて、軽いしと言う。COMOLIやDAIRIKUからそのまま出ていてもおかしくない。いい買い物ができた。古着屋で古着を買うなんて何年ぶりだろう。買い物に来られたんですかと聞かれて、すぐそこの店に髪を切りに来たんですと言ったが、彼はその美容院のことを知らなかった。美容院で何か買ったんですかと聞かれ、すぐそこの坂の入口にある古着屋に寄ったんですと言ったが、彼はその店のことを知らなかった。

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3月12日

これだけ毎日いくつかの決まった場所で仕事をしていると店員だけでなく客にも、またこのひとがいるなと思うことがある。ドトールに入って、広く使えるのでいつも座る8人掛けの大きなテーブルに着くと、向かいによく見る、女子高生の制服を着て膝までのブーツを履き、短いおかっぱのウィッグを着けたおじさんが座っていた。いつも本を広げて熱心にノートを取っているので、資格の勉強かなにかかと思って見ると、高校日本史の便覧を見ながら問題集を解いていた。本当に高校生なのかもしれない。僕とかわりばんこに喫煙ブースへ席を立っていた。

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3月11日

アパートの周りに足場が張り巡らされていて、速い雲が横切ったようにときおり作業員の影が部屋を渡る。デエビゴを飲み始めてからどうしてか薬を飲む前から夜になると眠たくなるようになり、そのままの勢いで薬を飲んで朝起きる。デエビゴは眠たくする薬ではなく眠たくなくなくする薬だということだが、いままで夜中起きていたのは、眠たくなっていなかったからではなく、眠たくなっていたのだがそれを紛らわせていたのかもしれない。朝起きると、時間がたくさんある。だからしばらく作業をして、それから風呂に入って朝ご飯を食べて、また作業をする。そうすると昼頃になって、これまで日記を書いていたような時間になり、いま、12時58分、日記を書いている。これはちょっとした革命で、昼過ぎに昨日の日記を書くというここ3年の習慣と朝起きるという新たな習慣(になるといいが)が組み合わさると、まだ日記を書いておらず、昨日から今日になっていない時間を、そのまま仕事に使えるのだ。これまで昼に起きてから日記を書くまで今日が始まらない気がして、同時にまだ始めたくない気がして、ぐずぐずした時間だったが、仕事は昨日でも今日でもない時間にやればいいのだ。

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