7月10日

家から駅に向かう道に台湾素食の惣菜屋さんがあって、前からちょっと気になっているのだが、この炎天下に軒先のテーブルにそのままちまきを並べていて、怖いのでまだ食べられていない。

コーラを買いにまいばすけっとに入ると、聴いたことのあるジョージ・ラッセルの曲がピアノトリオで演奏されたものが、冷蔵庫の作動音の向こうでうっすら鳴っている。前はセロニアス・モンクのEpistrophyがかかっていて、知らない曲だったのでその場でShazamで調べた。あの感じでモダンジャズがかかっているのがまいばすけっとの数少ない嬉しいところだと思う。これ自体あまりに夜電波的だが。

夜は黒嵜さんと『羅』の刊行記念トークをツイッターのスペースで配信する。妻は妻でオンラインミーティングだったので、僕は寝室でベッドに腰掛けて、居間からもってきたスツールに飲み物を置いて喋っていた。

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7月9日

シットとシッポの収録を終え、事務所を出て外苑前駅まで戻る。駅の交差点の角に煙草を売る酒屋さんがあって、その軒先はふんわり喫煙可になっている。禁煙中なので煙草が手元になく、初めて店のなかに入ると、棚はほとんど空っぽで、薄暗く、カウンターに座る40代がらみの男にキャメルの5ミリのメンソールはありますかと聴くと、ないと言われる。店の外に出ると、外から直接煙草が買える、いまはもう閉めきられた窓のとことにアメリカンスピリットのパッケージが掲示されており、店内に戻ってアメスピならありますかと聞くと、自販機にあるものしかないと言いながらカウンターから出てきた。店外の自販機にタスポをかざす。僕が財布から1000円札を出し差し込み口に入れていると彼は立ち去り、旧札を持って戻ってきた。それでようやくアメスピの5ミリのミントとビックのライターを買うことができて、直射日光を浴びながら火をつけた。初めて吸う銘柄で、ミントはメンソールとはまた別のものらしく、舌先にうっすら甘い味がした。

いろいろ思うところあり、日記のサブスクをやめて無料公開することにした。ちょうど収録でも話したのだが、ひとりで完結するプロジェクトでお金をもらっていると、小さな焦燥感や小さな申し訳なさでなんだか体が縮こまっていく感じがする。日記なんて、文章それ自体はわざわざ買うようなものではないし、たとえばそれが本になったりして複数のひとが関わって初めてプロダクトと呼べるものになるのだと思う(日記に限った話でもないかもしれない)。今後はここでは購買・講読したひとだけが読めるというかたちはやめて無料公開にして、気が向いた方だけギブアンドギブの投げ銭をしてもらうための箱を設置しようと思う。

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7月8日

立教の日。大学の近くにあるバーガーキングでチーズワッパーを食べる。やっぱり関内のお店のほうが同じメニューでもずっとおいしい気がする。前回はプラトンの『パイドロス』を解説して、今回はそれをデリダがどう読んだか解説する。200人弱の、もう急に何か聴かれるかもしれないという警戒もまったくない、静かで清潔な、21世紀生まれの学生達に。

妻と歩いてデニーズに晩ご飯を食べに行った。彼女は焼いた香味野菜が載ったハンバーグを、僕はポークステーキを食べて、同じミニ抹茶パフェを食べた。ポークステーキはよくできていたが、付け合わせで熱い鉄板に千切りキャベツが載っているのはどうにかしたほうがいいと思った。

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7月7日

髪がだいぶ伸びてきて、しかも最近もともとのクセ毛が強くなってかなりうねっている。短くしようかとも思うが、去年の夏にかなり短くしてそれもなんだかしっくりこなかったし、ちょっと長めでまとまりのある感じになるといいなと思うのだが、こうもうねうねだとそうもいかない。シャンプーが合ってないんじゃないかと思い、Amazonの購入履歴から今使っているシャンプーの名前をGeminiにコピペして、これを使っているのだがクセ毛で困っていると聞くと、いくつかおすすめのシャンプーを教えてくれたので、そのうちひとつを注文した。解答にはシャンプーをして軽く水を切ってからコンディショナーをつけて、3分ほどおいておくといいと書いてあって、風呂に入るときにその通りにしたら、乾かしてもいつもよりずっと髪がまとまっていた。洗い方が間違っていたのだ、買わなくてもよかったのかと思った。でも買ってよかったのだと思う。

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7月6日

昨日の日記を書く前は、もうなんか書きたくないな、やめちゃおうかな、意味ないし、と思っていたのだが、書いてみると書けた。書いたあとに、そうか、帝国が終わって日記が始まるんだなとツイートした。春樹の「駄目になった王国」という短編があるが、ウィトゲンシュタインもカフカも駄目になった帝国で日記を書いてたのだ。いろいろ頭のなかで結線してきて、まだ先があるんだと思う。とはいえこれも一面的な考えだな、とそのすぐあとに思った。大日本帝国が植民地で日本語の日記を書かせていたように、帝国の日記もあるのだ。

ちょうど、献本された『文藝』をめくっていると、大前粟生さんの、毎晩眠るたびにうめき声を上げるおじいさんのエピソードから始まる、彼の戦争体験に思いをめぐらし従軍作家の文章を読む、力の入ったエッセイがあった。

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7月5日

ここ最近気づくと、ウィトゲンシュタインの日記、アドルフ・ロースの『装飾と犯罪』、そしてホフマンスタールの『チャンドス卿の手紙』と、読書ラインナップに世紀転換期のウィーンが食い込んできている。と、この一文をGemini 2.5pro(僕はGemini派なのだ。双子座なので)に投げてみると、きれいにウィーン・モダニズムの社会的背景と言語への不信を結びつけて説明してくれた。ちょうど昨日から、最近何かとたとえに使っているカフカの『城』を光文社古典新訳文庫版で読み返していて、ウィーンではなくプラハで活動したカフカも同じ時期に二重帝国の捻れに飲み込まれた書き手ですねと聞くと、それもきれいにまとめてくれて、満足する。それはAIチャット的としかいいようのない、慰めに満ちた満足だ。たしかに、帝国が崩壊しナショナリズムが台頭し、美的なものが飽和し、言葉がウイルスのように増殖する100年前のウィーン/プラハで、書いたり作ったりするって何なのかと、人生全てを使って考えた彼らに立ち返りたい気分なのかもしれない。

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7月4日

気づいたらまた、煙草を1日10本くらい吸ってしまっていたので、もういちどしっかりやめたい。

でも、ベランダから見える空の広さが体験できないのは嫌だなと思う。

フィロショピーの準備。『千のプラトー』の生成変化論。最初は動物と秘密というふたつのトピックを取りあげるつもりだったが、思ったより最低限必要な手数が多く、動物の話だけになった。秘密の話は別のトピックと組み合わせて日記の哲学のほうでやってもいいかも。

『デススト2』はたぶんもうすぐクライマックス。

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7月2−3日

一日飛ばしてしまったが、その日は『非美学』書評への応答の文章をアップしたのでよいことにしよう。気づいたら7000字を超えていて、なぜだか筆が軽くてほとんどひと息で書けた。新しい感覚を掴めた気がする。でもそれは書評が出てからずっと頭のなかで考えを転がしていたからでもあるし、この一年で何度もいろんな場所で、いろんなスケールで『非美学』について話してきたからでもある。

昨日(3日)はシットとシッポの収録で、ほんとうは12時に集まって一緒にお昼を食べる予定だったのだが、僕が起きるのが遅くなって1時から直接収録することになった。するとこんどは荘子くんが車を停める場所を見つけるのに手間取り、しかも彼のそのあとの予定が詰まっていたので、45分くらいしか収録できなかった。まあそんな日もある。また彼の車で渋谷駅まで送ってもらいながら、ここでスマホで録音してくっつければいいんじゃないかとうっすら考えていたが、まあいいやと思うこともなくそのアイデアは表参道あたりに置いていかれた。

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7月1日

非常勤の講義が、なぜか期末レポートではなく期末試験をすることが必須になっており、紙媒体持込み可にはできるので、あらかじめ伝えておいた問題への解答を持参して、それをその場で解答用紙に書き写すという、カフカ的な妥協点に落ち着いた。試験の実施方法と問題の内容を今日までに教務に提出する必要があるが、書類を見てもなにがなんだかわからないので、早めに大学に行って直接聞くことにした。2時間ほどしか寝ておらず、灼熱のキャンパスを教務がある建物を探して歩き、カウンターで試験担当に取り次いでもらう。僕はこれまで10年以上大学というものと付き合ってきて、ほとんど事務の人に冷たくされた思い出しかなく、気が重かったのだが、試験をするのが初めてでなにがなんだかわからないのですがと言うと、とても丁寧に教えてくれて、一緒に書類を埋めた。メールで催促されると勝手に相手を悪魔化してしまうが、直接会えばいいのだ。当日は結局何がどういう順序で起こるのかと聞くと、いちど教員が集合してその場で試験の進め方を説明し、解答用紙を配ったり試験監督と引き合わせたりするが、それについての書類が近日中に届くはずだと言われる。話を聴いているあいだもあとからあとから汗が流れてくる。寝不足、灼熱からオフィスで急冷され、頭の半分で次の瞬間には倒れてしまうのではないかと考えていた。

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6月30日

『デススト2』をやる。ちょうど小島秀夫のゲームについてのエッセイを書いた『羅』が届く。そこでは、「視聴覚室としての居間」というテーマで、われわれの居住空間にある種々の視聴覚デバイスと生活のありかた、とりわけ家族が「一緒にいる」という形式との関係を考えた。そのエッセイでは『メタルギア・ソリッド』のプレイとムービーを行き来する形式と、家で妻と一緒にいることの関係について書いた。僕がプレイするのを妻が観ること、ムービーを一緒に観ること、エッセイでそのバランスの崩壊について書いたからか、『デススト2』は妻が起きているあいだにストーリーを進めて、彼女が寝たらイヤホンを着けてサブクエストを進めるというリズムがうまくいっている。

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