朝ご飯に冷凍の焼き芋を温めて囓ると、ペースト状の身が下の歯の外側の歯茎にくっついて熱かったが、舌もそこまで届かないので指でぐいと奥に押した。昼ご飯を食べる段になってそこが軽い火傷になっているのに気がつき、昨晩の残りのハヤシライスがわずかに滲みると同時に、それがひどい火傷で、歯医者に行き、焼き芋で火傷したのだと言い、歯医者はやってきた男が焼き芋で口内を火傷したと聞く、その一瞬の歯医者の全心情がつぶさに頭をよぎり、スプーンで具とご飯をいちどにすくってまた口に入れた。
1月6日
IKEAのサイトで注文した3000円の椅子が届く。いつもアーユルチェアで作業していて、ずっと座っているとかえって腰が緊張するので普通の椅子がほしくて買った。パーツがすべてダークグリーンでキャスターもついていない簡素な椅子。組み立ててみると背もたれのフレームと左右の脚2本ずつがすべてバラバラのパーツで、すべてのフレームの端を座面の裏に隠すことで一筆書き感を偽装している。本当はチェスカチェアが欲しかったのだけど座ったこともないし10万円もするのでやめた。
部屋で松江の妻の実家とビデオ通話。姉夫婦は帰省していたが、帰ってすぐにすぐに父と母がコロナにかかり、一階と二階に分かれて過ごして、昨日やっと合流できたらしい。甥っ子はプラレールの本を見ていた。クリスマスに送ったサツマイモのテリーヌがおいしかったと言ってもらった。
夜中、最近寝起きが怠いのは寝息が浅いからなのではないかと思い、布団に横になってゆっくり深く息をしていると、体がどんどんどん暑くなってきて、煙草をやめて歯並びを矯正して総合格闘技のジムに通うんだ、ふだん考えてもいないような、アメリカ人が言うところの “the best version of me” のイメージがどんどん押し寄せてきて、まったく眠れなくなった。
1月5日
『非美学』の最後の節は後回しにして、とりあえずそこまでの最終章の下書きを整えることを優先することにした。下書きはざーっと書いて、手が止まったところで区切りの線を入れて、つながりを考えずに次に書きたいことをざーっと書くのを繰り返して作った。だからよほど手を入れないといけないと思ったのだが、簡単な処理でなんとかなるところも多かった。節によっては完全に迷走しているところもあるので、それはscrivener上で新たなドキュメントを立ててもとのドキュメントと並置して横目に見ながらトピックを並べ替えていく。素材は出そろっているはずだ。そうでなければ困る。
1月4日
珈琲館で妻と作業をしていると若い男3人が入ってきた。みんな黒いパーカーかスウェットで、しばらくしてもうひとりの男が同じ席に座った。半グレかと思っていると、3人のうちひとりが滔々と話し始め、ヤクザ、カタギ、面倒を見る、気持ちを考える、足を運ぶ、そいつとは同級生で、という言葉がきれぎれに聞こえてきて、若いヤクザはこういう恰好なのかと思った。おおかた後から来たひとりが脅されているのだろう。話し方が堂に入っている。人間と気持ちの話しかしない。そういう仕事なのだ。仲間はひと言も発さなかった。それにしてもどうして喫茶店にいるヤクザはいつも、ひとり抜けたと思ったら別のひとりが入ってきたりするのか。そして彼らは店をとても広く使う。出入り口から席に向かって声をかけたり、不意に立って途中に会計をしようとする。それは美しい。そういうのを代わりにやってくれているのだと思う。それは社会のパルクールみたいなものだ。
1月3日
今年はまず『非美学』が出て、論集が出て、共著が出て、共訳書も出る。日記も本にしたいが、自分で出すのかどこか版元に持ち込むかまだ決めていない。あと『眼がスクリーンになるとき』の中国語訳と、まだ決まっていないもうひとつのことがある。でもこれらはどちらかというともう僕の仕事は終わっているもので、あとは収穫してパッケージして販売するだけなので、また別の種を撒かないといけない。連載がその主だった場所になるが、それも数年前から考えてきたことを卸しつつ書いているので、さらにその次を用意しないといけない。しかしよくよく考えてみると、僕がここ4年くらい何を考えて何を書いてきたか、そこにどういう方向性があるか、数人の友達以外はほとんど知らないのだと思う。これだけ日記を書いているのに。それでまた4, 5年後にやっと、いま考えていることを世に問えるのだ。現在にも悠久にも寄りかかれない。そういうラグに対する耐性がないとこういう仕事は難しいのかもしれない。
夜中、『非美学』の最後の節の続きに取りかかるが、文章は進まず、というか、2時間ほどそこまでのところを読み返したり文献に当たったりして、前回書いた最後の2000字ほどがまるごと要らないのだということに気がついた。書けるときに書くしかないが、書けるときに書いただけのもの、とりわけその最後の数段落は、自分が書いたものではないというくらい疑ってかからないといけない。いや、紛れもなく自分が書いたものだから難しいのだけど。
1月2日
註ひとつを書くためにラリュエルの『差異の哲学』とRocco Gangleが書いた解説書を一日中読んでいて、それで一日が終わってしまった。いろいろ思うところはあるが、ラリュエルのドゥルーズ批判はおおむね正しく、しかもその「おおむねさ」自体が哲学を「ジェネリック」なものとして扱う科学としての「非−哲学」というプロジェクトによって正当化されている。したがって批判に応えることは局所的にはイージーだが、第一にその局所性から別のシステムを作ること、第二にそのシステムをもってラリュエルに再応答することを考えると、必要な手数のわりに得られるところが少ない。そう考えているうちに「問題」から逸れて些事にはまりこんでいく。問題がはっきりすれば、応答はひと言ふた言で済むはずである。そしてこの場合、問題は本文のほうで展開しており、それ自体が応答なのだから、註は添えるだけでいいのだと思い、あっさりした再反論を書いた。ラリュエルはドゥルーズを「ザ・哲学者」だと言って揶揄しているが、それ自体がドゥルーズがスピノザを「哲学のキリスト」と呼んで絶対視する身振りを反復しているし、ドゥルーズはむしろ哲学者がつねに「ひとりの哲学者」である、その不定冠詞性と哲学することの結びつきを言ってもいる。哲学がひとつの全体でないと困るのはラリュエルのほうなのだ。
1月1日
朝起きてバタートーストと目玉焼きを作る。バターはレンジで10秒加熱するとちょうど塗りやすい固さになる。歩いてすぐの、酉の市の本拠地(?)になる神社に妻とお参りに行く。隣の消防団の詰め所にいつもいる黒くて大きい猫と白黒の小さい猫を撫でる。少し並んで、鐘の取り去られた拝殿で5円玉を箱に投げて、妻の健康を願った。おみくじは僕が中吉で、彼女が大吉。セブンイレブンでカフェラテを買って帰ってしばらくすると地震で家が揺れ始めた。長いねと言う。能登半島の先端あたりが震源で、とても大きい地震みたいだ。しばらくずっとツイッターを見て、疲れたので昼寝をした。起きるとインプレッションを稼ぐために要救助者を偽装するツイートが溢れていると話題になっていた。もうツイッターにインフラの機能を望むことはできないと言われていた。晩ご飯は作り置きしていた筑前煮と、妻が作った椎茸の煮しめと義母が送ってくれた数の子と雑煮。雑煮の具はもちのりというほぐれた海苔だけで、島根の雑煮らしい。強い海の匂いがする。もう8年ほども前になるが、田中功起さんの映像作品の手伝いをしたことを思い出した。田中さんが京都の家から大飯原発まで歩いて行くのを、僕が車でカメラマンと音声さんを乗せて先回りして撮影して、また少し先で待つ。鯖街道と呼ばれる一本道をひたすら北上して、たしか福井に着くまでふた晩かかった。原発に続く道に警備員が立っていて、そこで折り返した。湾の向こう側にある原発を見て、ひと息で京都まで帰った。途中で鯖サンドを食べた。夜中まで余震が続いているようだった。
12月31日
2023年も終わり。とくに前半何をしていたかまったく思い出せない。日記を始めて1年経ってそれを本にするまではよく読み返していたし、2年目は週に1回くらい過去の日記を転載していて、それでランダムに読み返していたがそれからはもう書きっぱなしになっている。1月の日記を開いてみると髪を短くしたのが1月29日らしかった。今年は髪が短くなった年だったのだ。僕はもうすっかり慣れたが、久しぶりのひとに会うと僕だと気付いてもらうまで時間がかかる。
12月30日
美容師とか、そういう、仕事のつながりではないひとと話して、哲学って難しそうですねと言われたとき、哲学って真理とは何かとか、どう生きるべきかとか、そういうことを腕組みして考えるみたいな学問に見えるけど、基本的にはちまちました作業の積み重ねで、あなたの仕事と同じですよと、まずは言う。真理も善も目に見えないものだ。哲学は目に見えないものを問うが、つねに目に見えるものを通してそれを問う。目に見えるものの代表がこれまで書かれた文章である。だから哲学は、目に見えないものを問うだけでなく、目に見えないものと目に見えるものとをどう関係づけるかと問わねばならず、だから哲学においてはテクストの解釈が重要視される。しかし哲学のイメージは、目に見えないものを直接言うことと、テクストをちまちま読むことのあいだで分裂している。賢者か研究者か。
別の話。世界が、戦争も芸能スキャンダルも身近な業界での喧嘩も、同じ論理で動いているように見えて、こちらはこちらで、それに対する応答の論理をひとつしか持っておらず、世界が一様なのか、僕が退屈な人間なのかわからなくなっている。世界の全体性と私の特殊性をまっすぐに繋ぐ口実は安売りされており、なおさら、自分の言葉がその速度に巻き込まれないように無口に、あるいは話すにしてもこうして散文的になっていく。自分の仕事をするしかない。世界の全体性と私の特殊性の焼き切れそうな回路の外に、仕事の個別性がある。でももうずっとそう言い聞かせてきたのだ。
12月29日
「いや、単に自分自身がいやになってきただけだよ。世界が自滅するのを思いとどまらせようと、僕みたいに5年以上あれこれやってくると、そういう行動そのものが世界の自己破壊計画の一部であることが見えてくる。僕たちにわかっていることなんて、その程度なのさ。」
マルカム・ラウリー『火山の下』