学芸大学駅で編集者と待ち合わせて、デザイナーのアトリエに向かう。最初の打ち合わせ。コーヒーをいただいて、編集者とデザイナーの世間話に横から相づちを打つ。静かに話すひとで、坊主頭なのもあり、平倉さんを思い出す。「顔」のようなデザインが多いなかで、彼の作る本は、デザインがそのまま本の「体」になっていると感じる。編集者が企画の概要を説明して、スケジュールをすり合わせる。デザインの方向性については、基本的に僕はいま人文書のデザインというものについて、本屋に行くと迷走しているのはわかるが、かといって見て目レベルの解答やこだわりがあるわけではないと話す。たとえばみすず書房の本はどれも地味だが、いま読まなくてもいつか読むことになりそうな雰囲気のようなものがある。そういう、いま、これを、読めという反射的な時間から引きこもったものがいいのではないか。それに、どうしたって今回の本は難しいものになる。今回の本の狙い、日記を書くこと、どうして若い時期からいろんなところに出入りするようになったのかについて、僕という人間が受け取られるのをうっすら感じながらぽつぽつと話す。2時間ほども喋っていて、駅のほうに戻りながら編集者と来てよかったですねと言い合って、鰻を食べさせてもらった。
12月7日
夏に大和田さんがDinosaur Jr.を聴いているのを横で聴いて以来僕も最近よくSonic Youthを聞き返すようになった。それで、A Thousand Leaves にはKaren Koltraneという曲があって、いちばん好きなMurray StreetにはKaren Revisitedという曲があるが、このカレンとは誰なのかと気になって調べてみた。それはCarpentersのボーカル、カレン・カーペンターのことらしかった。Sonic YouthはSuper Starをカバーしていて、カバーとも知らずにYouTubeで見た中学生の僕は、演歌みたいなその曲を何かの皮肉なのだろうと思っていた。保守的な家庭に育ったカレンはドラムが好きで、デビューしたらたちまち歌姫になってしまい、拒食症になって死んでしまう。彼らは彼女のことを歌っていたのだ。オリジナルのSuper Starと彼らのカバーでプレイリストを作って、2曲を交互に聴く。一方ではカレンが歌う。他方ではサーストン・ムーアが歌い、キム・ゴードンがベースを弾く。ふたつの家族バンド。ラジオの向こうのスーパースター、あなたの悲しいギターをもう一度聴かせて。グルーピーの悲しさと、ドラムが叩けなくなった歌姫の悲しさが反転し合う。僕は彼らが何を歌っていたか考えたこともなかったのだと思い、Sonic Youthの評伝2冊とキム・ゴードンの自伝を注文した。
12月6日
京都。ちゃんと寝たからかいつもより頭がはっきりしていて、新幹線の中ですこし原稿を進めた。一緒に授業をしている同僚に、今年で辞めるのでメーリングリストの管理を引き継ぎたいと言われ、僕も今年で終わりなんですと言った。もうひとりの講師が引き続くことになった。いつも煙草を吸うキャンパスの隣のファミマに、新たなシェアバイクが設置されていて、アプリから登録して乗ってみた。電動アシストのない、ライトがホイールにくっついている古い自転車だった。中古を使い回しているのだろう。新横浜から地下鉄に乗ると、送電線の修理で10分ほど停車していた。吊り革を持ってぼおっとしていると、壁に貼られたシールのHEATER BELOW SEAT IS HOT. という一文から目が離せなくなった。
12月5日
博論本の最後の節を、プロットを無視して、stoneで新たなドキュメントを作ってそこに、思ったように書けばいいんだと思って書き始めて、3000字くらい書いた。
12月4日
横国の授業とPARAの講読の日。授業は前日にぐずぐず準備をするより、早起きして当日に2時間ぐらいでばっと仕上げたほうがいいということがわかってきた。早起きして、フーコーに戻って「自己の書法」の話をするかドゥルーズの管理社会論にするかと考えていたが、いちどフランス現代思想から離れてヒンティッカの「コギト・エルゴ・スムは推論か行為遂行か」の話をすることにした。それは感覚的な判断で、なんとなくここらでいちど、私、言葉、存在、思考といったものについて、社会や倫理から離れたところから話しておいたほうがいいような気がしたからだ。授業では毎回感想を提出してもらっていて、話したことについて毎週120人くらいから言葉が返ってくるという環境は希有なもので、それを読んでいるとフーコーやドゥルーズの話はいきおい人生訓的なものや優等生的道徳として処理されるきらいがあるなと感じる。それで、デカルトのコギトとオースティンのパフォーマティビティの概要を辿ったあとにヒンティッカの「実在的不整合」の話をまとめた資料を作る。最後にしかし僕が本当に面白いと思うのは、コギトのパフォーマティビティの裏面にある、考えていないあいだおのれの存在が宙に浮いているということで、日記というスカスカな文章表現にはその非意識における存在の剥離が刻まれる。しかしそれがあいかわらず〈私〉であるとして、それは何なのかと問うて終わった。
12月3日
「自分が読もうとする多くのテクストのなかで、そのうち一つだけを決めるのである。さあ、これが今日の獲物だ。私が出会った獲物は、エピクロスの中にある。というのも、他の陣営に立ち入るのも私は好きなのだ。捕虜としてだって? いや、斥候としてだ(tanquam explorator)」
セネカ『道徳書簡集』、ミシェル・フーコー「自己の書法」神崎繁訳、『思考集成IX』より孫引き。
12月2日
外に出て、妻に昼ご飯はどうするかと聞かれる。久しぶりにモスバーガーが食べたいと言って、横浜橋商店街を南に下る。途中にしばらく前にできた、ふだん出かける方向とは逆にあってまだ入ったことのない「象の旅」という小さな本屋があって、入ってみることにする。山内朋樹さんの『庭のかたちが生まれるとき』とフォークナーの『野生の棕櫚』を買って出る。植物つながり。小説はなるべくここで買うようにしようと思う。モスで照り焼きチキンバーガーを食べて、珈琲館で本を開くと、植物だけでなくふたつの系列が章ごとに交代する構成も2冊に共通していた。日記よりツイッターに向いた出来事だ。並べて写真を撮って、「植物つながり、と思って買ったら章ごとにふたつのテーマが交代する構成も共通していた」とかなんとかつぶやく。山内さんが見てくれるかもしれないし、この構成は「言葉と物」でも使っている。そういうことが頭のなかで一瞬で計算されるようになっている。いやはや。本をしまって作業に取りかかった。
12月1日
12月1日。今年ももう今月で終わり。何をしたのか。いちばん大きい仕事がまだ残っていて、やりきることができるか自信がない。「言葉と物」を6回分書いたのでそれで十分だろう。
11月30日
今月は休むことにしていなかったら今日が連載の締め切りだったのだと思うとぞっとする。外に出て作業をして、ひさしぶりに寿々喜屋のラーメンを食べに行ったらいつも食べる海苔のトッピングつきで1000円になっていた。数年前までは800円だったはずだ。ドトールでは大声で電話していた客が店員に注意されて怒って出て行って、ベローチェではソファ席に横並びに座った女子中学生3人がじゃれ合っていた。帰りにスーパーに寄ったものの作りたいものがまったく思い浮かばず、カゴを返して何も買わずに帰って妻と近所のココスで夕飯を食べた。僕はグリルチキンつきのジャンバラヤを、彼女はハンバーグドリアを食べた。
11月29日
京都で授業。先端研の建物の入口ですれちがった学生にニュウカンキョクに行くので今日は授業を休みますと言われ、いいっすよと言ったあとで、たしかにニュウカンキョクと言ったような気がするが、それは入国管理局のことだろうか、留学生は日常的に入管に行くものなのだろうかと考えた。授業はいつもあまりに上手くいくので、こんなのずっとやってたら自分の仕事をやる気がなくなるのもわかるなと思う。
帰ってすぐ1時間ほど寝て風呂に入って、ひとりで音楽を聴いてストレッチをしてマルカム・ラウリーの『火山の下』の続きを読む。30年代のメキシコを舞台にした、中南米版『グレート・ギャツビー』のようなぶ厚い小説。すべてがダメになったところから始まるところが違う。メキシコと僕のあいだには、卒論で扱ったブニュエルがフランコ政権時代にメキシコに逃げて映画を撮っていたというかすかなつながりしかない。その20歳くらいの頃のかすかなつながりをたよりに、夜中、寝る前のしばらくの時間、その頃の続きとして読んでいる。