読んだもの
コンラート・ローレンツ『攻撃——悪の自然誌』
ユベール・ダミッシュ『カドミウム・イエローの窓——あるいは絵画の下層』
ウィリアム・モリス『小さな芸術』
マルカム・ラウリー『火山の下』
市田良彦『フーコーの〈哲学〉——真理の政治史へ』
松田道雄『ロシア革命』
ジャック・デリダ『散種』
聴いたもの
The Smile, Wall of Eyes
福尾匠の個人サイト
読んだもの
コンラート・ローレンツ『攻撃——悪の自然誌』
ユベール・ダミッシュ『カドミウム・イエローの窓——あるいは絵画の下層』
ウィリアム・モリス『小さな芸術』
マルカム・ラウリー『火山の下』
市田良彦『フーコーの〈哲学〉——真理の政治史へ』
松田道雄『ロシア革命』
ジャック・デリダ『散種』
聴いたもの
The Smile, Wall of Eyes
最終節の後半。ドラフトの終わりから続きを書くとそれまで書いたぶんの圧を感じてしまうので、workflowyに移って、順番を気にせずに段落になりそうなもののマケットを作っていく。まずなんとなく言いたいことを書く。一文でもいいし、A:B=C:Dみたいな用語間の関係でもいいし、そのままつらつら300字ほど書いてもいい。その下位の項目に、これまた何でもいいものとして、文や引用や語句とその定義をぶら下げていく。それがなんとなく飽和した感じ、それがある区画を表示し、そのなかがある程度走査されている感じを合図に、次の段落らしきものに移る。
夜中、久しぶりにジムに行く。体重計に乗ると65キロで、下手したら68キロくらいになっているんじゃないかと思ったが前から変わっておらず、体質が変わらない限り普通にしていればこれくらいなのだと思った。減らす努力をする必要もなさそうだ。有酸素運動もちゃんとしようと思って、15分走って、10分バイクをして、10分手と足を一緒に動かすクロストレーナーをする。脚が棒のようになったのでウェイトは上半身だけにした。シェアバイクで家の近くまで帰って、セブンイレブンでホットカフェラテを買った。
午後じゅう外で作業したがいまの自分のいる地点を確認しただけでめぼしい成果がなく、肩を落として帰った。せめてと思ってスーパーに寄って食材を買って夕飯を作った。夜、ゆっくり本を読んだ。
横浜駅で2回目の整体。何ヶ月かぶりにパソコンを持たずに出かける。鞄が軽い。最初に力を抜いて座ったときの姿勢を見てもらうと、こないだ施術の前にチェックしたときより自然に骨盤が立っている。次回の予約をして街に出て、五番街にある煙草が吸える喫茶店に入る。ここはコーヒーが苦くて濃いだけでおいしくはないのだと気付いてから何年か来ていなかった。日記を書くのにパソコンがないのに気付いてスマホを取り出すと昨日送った原稿について編集者からメールが来ていて、そのままGmailのアプリ上でファイルをタップして、註が消えて行間が詰まりフォントもデフォルトのもので表示されるその小さい文字の原稿を夢中で読み返していて、隣のおじいさん3人組の誰かが言った「高浜虚子ってあの有名な名前のひとか」という奇妙な冗語法で意識を引き戻される。コーヒーも水ももうなくなっていて、貧しい形式で読む5万字の原稿に思いのほか集中してそれだけでひと仕事したような気分になって、店を出てジョイナスの地下にあるスンドゥブの店に入った。右手でスプーンを持って左手で日記を書いて、Don Don Downという下品な古着屋に久しぶりに寄ってみた。ギャルソンの縮絨ウールのパンツを履いてみたかったが、面倒なのと、やっぱり店内放送がうるさいのですぐに出て、高島屋の地下で晩ご飯のサラダとおこわを買って帰った。
夜までかかって『非美学』の最後の章の最後の節の手前までの原稿を整理して編集者に送る。3年以上もこうして、毎日ちぎっては投げる文章と、1段落進むのに実際に、あるいは頭のなかで、幾度となくそこまでの道のりを辿りなおすことを要するような文章を並行して書いてきたのだと思う。始めたときにはすでにあとちょっと、あとちょっとと思っていて、実際に作業は進んでいるのにそのあとちょっとが日増しに分厚くなって、一本の直線という迷宮に閉じ込められたような。この比喩は前も使った気がする。しかし実際それくらい時間も作業も進んでいて、でもそこから出られないのだ。
日記の授業。『パイドロス』の後半の、弁論術とエクリチュールの話。朝起きてレジュメにまとめる。2時間で専門でもない内容について90分喋るレジュメが作れるのは才能なのではないかと思う。来週までキツそうなのであらかじめ次回はワークショップにすることにして、課題として日記を書いてもらうことにする。編集者に今月末の連載締め切りをスキップさせてもらうお願いのメールをする。ふたつ仕事を消してだいぶ気が楽になった。関内で仕事終わりの妻と合流して、ロイヤルホストでご飯を食べた。アンガスビーフフェアをやっていて、ステーキとグリルした海老とフィンガーチキンがひとつのプレートに乗ったものと、クリームスピナッチと、パンを頼んだ。
耳栓、マッサージガンに続き3日連続その日アマゾンから届いたものの話になるが、ニコラ・アブラハムとマリア・トロークの『狼男の言語標本』をぱらぱら読んでいた。こういうものを読める人はいなくなるのだろうと思う。フロイトのもっとも有名な症例のひとつである「狼男」について、別のふたりの症例報告と併せて分析した本。狼男も分析家たちも著者たちも、そして序文を書いているデリダも含めて、20世紀のヨーロッパを煮詰めたような本だ。オーストリア゠ハンガリー帝国と帝政ロシアという、それぞれもうすぐなくなる帝国で生きるふたりが、1910年、ウィーンで出会う。のちに狼男と呼ばれる若いロシア人はフロイトに彼を後背位で犯し、頭の上からうんこをする妄想を話す。姉は自殺し、彼の財産は革命によって紙くずになる。フロイトは彼の症例を「ある幼児期神経症の症例より」という論文にまとめ、それは第一局所論から第二局所論に転回する「裂け目」になっている。二度目の治療は寄付によって行われる。精神分析家から金をせしめた数少ない患者だろう。1938年、ナチスドイツがオーストリアを併合し、狼男の妻は自殺し、その翌年、口蓋の癌が悪化しフロイトは亡命先のロンドンで死ぬ。狼男はその後もふたりから分析を受け、そのひとりのガーディナーによって書かれた『狼男による狼男』の出版によって生ける伝説となり、1979年まで生きた。調子がいいときは絵を描いていたらしい。『狼男の言語標本』は1976年の刊行なので、著者らは本人の存命中に、あくまで症例分析のテクストをもとに本書を書いたことになる。アブラハムもトロークもハンガリーからパリにやってきたユダヤ人で、彼らもまた戦争によって大きな傷を負い、正統フロイト派ともラカン派とも距離を取りつつ仕事をする。帝国の消失、英語もまだあくまでそのひとつであるような多言語的で、まだ誰がどこに住むかも決まっていないような多民族的な環境、メディアといえば新聞とラジオで、連絡は手紙でしか取れない。われわれは文明レベルでもうそこから隔てられているのだと思う。「狼は一匹か複数か」が収録された『千のプラトー』が出たのが1980年だ。もうこういうものは読めなくなるのだろう。「埋葬語」が症状を呼び、そこに外国語が見出されるような文明ではもうないのだろう。とすれば、これはわれわれにとって何なのか。
なかなか寒くならずこれはこれで締まらない感じがするなと思っていたが、実際寒くなるとやっぱり嫌だった。馬車道のサモアールで編集者と打ち合わせ。第5章までの白ゲラができていて、持ってきてもらう。白ゲラはまだ校正が入っていない素読み用のもので、来月受け取る校正済みのゲラに赤を入れていくことになる。刊行までのスケジュールを逆算するとなかなかタイトなようだ。なによりまだ第6章の原稿を渡すことができていない。いやはや。
夜、マッサージガンが届いて、妻と背中に当て合った。
感想で自分の名前が言及されているのを見て、葉山莉子の『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』を買った。ティンダーでマッチしたひとと送り合っていた日記をまとめた本。日記を始めた理由のひとつに僕の日記があって、それで感想にも僕の名前が出ていたようだ。ぱらぱら読むと、僕はこんなふうにごろっと自分を投げ出すような書き方はできないなと思う。それはたんに、ひとから見れば僕の日記もそのように見えるのか、あるいは交換日記という性格がそうさせるのか、わからない。ここに並んだ日付と同じ日に、僕も何かを書いてる、そのことが不思議だった。前から、たとえばnoteでエゴサーチをすると、いろんな日記で僕の日記が言及されていて、誰かの日記の理由になっているのが嬉しかった。それにしてもどうして日記は、「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」ではないが、誰かがやっているからという理由で始められがちなのか。日記を書く。誰かが日記を手紙として受け取る。その日記が手紙であったことにするために、日記を書く。その日記を手紙として受け取ることで、私の日記が手紙となったことを知る。
夜、もうハンマーの音で起こされるのは嫌だと思って買った10セットのスポンジ状の耳栓が届く。指のあいだですり潰して耳に入れると、左耳は素直に入るのに、右耳のなかは途中で上方に折れているようで、入りにくかった。
散髪と整体の日。散髪はいつものところで、整体は初めてのところ。横浜駅の近くの雑居ビルにある整体院で、エレベーターで5階に上がるとそこがもう靴を脱ぐところで、ドアもなくベッドが並んだ部屋が開けている。ひとりの整体師がもうひとりの整体師をベッドの上で後ろから羽交い締めにするようにして、胸椎の矯正かなにかの練習をしていた。受付はその部屋の奥にあり、ペラペラのジャージを渡されて更衣室に入る。受付の椅子でカルテを書くタブレットを渡されて入力していると、となりにいた60歳くらいのおばさんがふうふう言いながら、入力しにくいと文句を言っている。たしかにそうだ。スマホを持っているひとは自分のスマホからGoogleフォーム的なものへの入力、そうでないひとは紙に手書きでいいじゃないかと思ったが、あとからわかることなのだが、そのタブレットはわれわれの姿勢の写真を撮るのにも使っていて、だとするとカルテと写真を一括で管理するためにそうしているのかもしれず、難しいものだなと思った。いやいや、だとしてもべつにデバイスを固定する必要はないのだ。ぜんぶクラウドで管理するんだから。整体師はがっしりした女性で、おばあさんは院長らしき男性が担当で、われわれはあいだに仕切りもなく並んだふたつのベッドを挟んで、同時に施術を受け始めた。立った姿勢と座った姿勢の歪み、両脚の長さのズレをチェックして、どうして負担が偏るか説明を受ける。マッサージが始まってうつ伏せになっていると、いつのまにかおばあさんがイラン人の夫とイランに行ったときの話を始めていて、どうしたらそんなにいろんな話ができるんだろうと思った。