最後の京都への出勤。もう2年も働いた。移動さえこれほど長くなければ来年度もやりたかったが、こればっかりはしょうがない。学生それぞれの研究発表を1学期に2回ずつ聴く。合計30人くらい見ただろうか。それぞれがイチから自分の研究を立ち上げて、苦闘しながらそれにかたちを与えていくのを見ることができていろいろ勉強になった。自分と自分の内なる「先生」との葛藤が先行して、彼らには読者がいないのだと、僕は読者でいることを見せ、読者がいうることを示すべきなのだと、途中から思うようになった。四条烏丸で黒嵜さんと合流して、ホーリーズカフェでまた長話をした。『非美学』の内容をわりと詳しく話す。つねに僕の話すことの一歩先まで理解していて、僕の仕事をいちばんよく知ってくれているのが彼でよかったと思う。こんなにストイックな内容が出てくると思わなかったので、誰も喜ばないと思うんですよねと言うと、どういうひとがこれを自分のことだと勘違いして使ってくれそうなのかと考えてくれる。『眼がスクリーンになるとき』のときもそういう話をしたのを思い出した。
1月16日
朝、寝ていると家の外壁の工事が始まって、業者が足場を組み立て始めた。もうすぐ外まで上がってきているのが声でわかる。壁を直接叩いているかのような重いハンマーの音が響く。カーテンを閉める。ソファに腰掛けてしばらく音、上と下でやりとりされる声を聴いていた。明るい部屋が見えない音で満たされる。住んでもう4年が経つこの部屋が、箱なのだということを初めて意識する。
1月15日
日記の授業。デリダの「プラトンのパルマケイアー」の話がしたいのだが、ドゥルーズやフーコーと違ってそのひとの書いたものだけから理論を抽出するということが難しいので『パイドロス』の解説をまずします、と話す。恋と言葉というふたつのテーマが話されていて、言葉のほうの話がしたいのだが、今日は恋のほうの話までしか進みません。二重に主目的から遠ざかってはいるが、これだけで面白い話だと思います。リュシアスの「恋をしている者は狂っているので自分に恋をしていない者にこそ身をまかせるべきだ」という、「最古の恋愛工学」とでも言うべき賢しらな主張に、ソクラテスはどう応答するのか。それを見る前に、ちょっと各自で自分ならどう応答するか考えてみてください。本当の愛はそんな自分勝手なものではないと言うでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたが「本当の愛」と呼んでいるものは、僕が推奨しているものと何が違うのかと返すでしょう。あるいは、そんな口説き文句が通用するわけがないと、プラクティカルな観点から反論するでしょうか。僕がリュシアスなら、あなたは恋が「技術」であることを認めるのですね、僕も同じですと返すでしょう。あるいはべつに、リュシアスの肩をもってもいいわけです。彼はある意味アナーキストで、今風に言えば「本当の愛」なんて結局結婚して子供を作ってというイデオロギーの道具なのであって、互いを縛らず割り切った後腐れのない関係を場合によってはポリアモリー的にやっていくのがいいんだという立場だとも言えます。さて、ソクラテスはどのようにして恋する権利を護るのでしょうか。
1月14日
どこの家にもその家だけの言葉というのがあると思うが、わが家ではたとえば、部屋が散らかっているのを「モノタロウになっとるね」と言ったり、アマゾンの箱がたまっているときに「またダンボールワンや」と言ったりする。その小さな痛快さは、それが合い言葉であることの閉鎖性と、商標でもあるその名の無場所性のギャップにあるのだと思う。モノタロウやダンボールワンは一方で家の外の社会にあり、他方で家という社会のなかのひとつのミニチュアとなる。われわれはほとんどの時間ふたりでいるときふたりでしかいないので、そうした言葉や、散歩中に見かける犬や猫などに、ある種の回転扉としての機能を託す。
1月13日
やよい軒に夕飯を食べに妻と外に出ると、暗い大通り公園から「WOW WAR TONIGHT」のカラオケが聞こえてきて、10人ぐらいがそれに合わせて踊っているのが見えた。なぜいま「WOW WAR TONIGHT」なのか。松本人志の騒動と関係があるのか。からあげ定食を食べて帰っていると大和田俊から連絡があって、いま慶野さんと関内にいるから合流しないかということだった。いちど家で着替えてから地下鉄に乗ってベイスターズファンのためのバーで合流する。大和田さんは慶野さんのお母さんにもらったというマルニのセーターを着ていた。彼らの終電までのコーラ2杯ぶんのおしゃべりだったが、いつも友達に会うのは僕が都内や京都に出ることが多いので、近所で遊べて嬉しかった。帰りには自分で版元でも作ろうかなあという気分になって、名前をいろいろ考えていた。
1月12日
イセザキモールの人間模様。妻と一緒に出かけていたのだが、僕はもう少し仕事をしてから帰ると言って、彼女は先に家に帰った。ドトールに入って作業をしていると目の前のおじさんふたりのうちひとりは体を小刻みに震わせてiPadから聴いている歌をときおり声に出して歌っており、もうひとりはパソコンをいじりながら『ロード・オブ・ザ・リング』のゴモラのような声でずっと嬉しそうにひとり言を言っている。このふたりは互いをどう思っているのだろうかとしばらく見ていたが、隣に大量の紙袋を持ったおじさんが座ったのでもうこれは河岸を変えようと思ってベローチェに移動した。喫煙ブースに入るとおじさんの肩に日の丸がモチーフの「OPERATION TOMODACHI」という文字が入った、東北の震災のときのトモダチ作戦のワッペンが着いていた。右翼なのか、能登の震災を受けてのことなのか。
1月11日
チェックアウトの時間まで2時間ほどしか寝られず、よっぽど電話して延長しようと思ったが、結局起きて荷物をまとめて出た。三条河原町。上島珈琲でだし巻き卵のサンドイッチとオレンジジュースを頼んで、席に着いてからここが黒嵜さんと初めて会って『アーギュメンツ』1号を買った店であることに気がついた。京都駅までのバスを待っていると、待つ場所が違うのか待っていた17番のバスが通り過ぎていってしまい、結局烏丸まで歩いて地下鉄に乗った。明るいうちに新横浜に着くのが新鮮だった。
1月10日
京都授業をして、夜は布施くんと黒嵜さんとのトークの日。寒そうだし、夜中まで飲むだろうからいちばんぶ厚いヒートテックを着て出かけると、脇の下に縫い目が挟まって不快だった。新幹線で喫煙ブースに入ったときに、いつのまにかiPhoneのライトが点いていたことに気がつく。窓を見ると岐阜のあたりの田んぼが雪景色だった。教室に入ると学生がふたりしか来ておらず、今回の発表は次回に回して解散した。気分がよかった。キャンパスのタリーズで時間を潰して、ふたコマ目の授業も発表者がひとりで早めに終わる。一乗寺のニハというスペースに向かう。長細い三階建ての一軒家で、1階の内装は剥がされたままになっている。トークをして、そのあとも朝まで喋った。がんばろうと思った。
1月9日
眠れないまま昼になって、このまま寝てもよけいリズムがおかしくなると思ったので仕事のメールをいくつか返して書類仕事をした。それだけで夜になる。夜7時にやっと昨日の日記を書く。始まったと思ったらもう今日が終わっている。なにかのしるしに、スーパーに行って材料を買ってハンバーグを作って妻と食べた。
1月8日
頭のなかがぐるぐるして昼過ぎまでまったく眠れなかった。ツイッターを見ると松本人志の性加害疑惑、宮台真司の不倫報道と、セックスの話題ばかりだった。松本に関してはずっと好きだったし、中学高校の頃に地元の外に憧れる理由なんて彼と村上春樹くらいしかなかったので、今回のことは暗澹たる気持ちで見ている。一人暮らしを始めた14年前からテレビを見なくなって、本も小説より哲学書を読むようになって、あのときの「外」は自分にとって何だったのだろうと思う。松本の笑いは、よく言われるように「いじめ」的だと言うのだけでは片手落ちで、知識も伝統もなく、地産地消的にその場に勝手に「社会」を現出させるある種のフォーマリズムだったと思う。彼は本人も気付かないうちにずっとその「中」にいることを選んでしまっていたのだろう。だからこそ彼のツイッターはあれほどみじめに見えるのだ。一緒に「社会」をやってくれるひとがいないから。晩節を汚すとはこのことだが、人前に出るとはこういうことなのだと覚えておこうと思う。