10月18日

シットとシッポを始めたときから荘子くんが勧めてくれていた『ミゼリコルディア』をまだ上映しているところがあると知って観に行くことにする。ツイッターでエゴサをしていて、「福尾匠がいくら勧められてもぜんぜん観ない『ミゼリコルディア』を観にきた」というツイートがあって知った。観に行くとつぶやくと「ついに!」という反応があって、映画を観るだけのことに謎のレバレッジが生まれているのが面白いと思った。逆蓮實重彦だ。

それで、妻も誘って、池袋の新文芸坐の夜の上映に向かった。池袋は僕も彼女も馴染みがなく、食事できるちょうどいい店を探してうろうろ歩き回る。なぜ池袋なのにこんなに人が多いのか。結局TOHOシネマズが入っているビルの1階の、いつでも朝食のメニューが食べられるというコンセプトのニューヨーク発祥の店で、チーズオムレツとトーストを食べた。たしかにいつでも朝食のメニューが食べられるのは嬉しい。ベーコンも追加した。映画の感想はまたポッドキャストで話す。妻が池袋は嫌な感じだと言っていたので、イセザキモールもなかなかだよと言うと、イセザキモールはいいのだと言った。たしかにまあ、イセザキモールは下品なところにも芯から生きられた感じがあるが、池袋の下品さは浮ついている。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月17日

前切ってからまだたぶん1ヶ月くらいしか経っていないのだけど、気分を変えたくて散髪。ちょっと野暮ったいマッシュみたいな感じにしていたのだけど、最近髭を伸ばしっぱなしにしていて、これはこれでありかなと思い始めたので、それにあうかたちで、耳が出るくらいサイドを短くしつついろんな長さが混ざったザクザクした感にしてもらう。かなりイメージ通りになって、僕は髪型が自分に似合っていると感じたことがほとんどないので満足した。

夜、また10キロ走る。どんどん速くなっている。走るたびに速くなる。毎回発見がある。今回は腕の振り方と肩甲骨の連動について発見があった。腕を振っている感がかえって、肩甲骨の動きを制限することがある。むしろ肩甲骨が肋骨を押し出す感じは肘から下を固定したほうが得られる。キツくなってくると右側の首だけ突っ張ってくるが、それを自覚しつつ痛みをなだめられるように力の抜き方を探ると、自然とペースが上がる。整体にもなる。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月15日

昼に起きて顔を洗おうとすると水が出ない。水道が止まっていた。夏に広島で財布をなくしたときにクレジットカードを再発行してから、自動支払いのカードを登録しなおすのを忘れていたのだ。妻が家を出るまでは止まっていなかったようで、水が出ないと困るだろうから、よかったと思った。水道局に電話すると、ポストに払込票を入れているので、コンビニから支払えば今日中に開栓するとのことだった。すぐに降りていってセブンで払って、折り返し電話する。また「お客様番号」と住所を繰り返して支払った旨を伝えて、どれくらい時間がかかるかと聞くと、それは開栓の業者の都合によるので、そちらのほうから電話するようにすると言われる。出かける準備をしているとすぐに業者から電話がかかってきて、2時間以内には開栓できると言う。僕が家にいる必要はないことを確認して家を出た。ドトールで、いつも資格の勉強をしているガタイのいい縮れた茶髪の男の向かいに座り、どうやったら自分を忙しくできるかということについてノートに書きながら考える。妻から仕事が終わって珈琲館に行くというLINEが来て、傘がないので止んだら向かうと返す。結局しばらく待っても止みそうになかったので小雨のなか歩いて珈琲館に向かう。起きたら水道が止まっていた話をする。やはり彼女がいるうちは止まっていなかったようだ。昔、まだ一緒に住んでいなかった頃、彼女がうちに遊びに来ていて、今回と同じような理由で電気が止まったことがあった。帰ると水が出るようになっていた。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月12日

ざっくり近況。先週『置き配的』の再校ゲラを返して、それで僕の作業はほぼ終わった。そこからデザイン等を詰め、予算に基づいて価格や部数が決まり、そろそろ刊行情報がリリースされる。前もどこかで言った気がするが、こんなに自分がこれからどうなるかわからないのは10代のとき以来だと思う。20代は働きたくないしお金がもらえるらしいという理由だけで大学院に行って、博士に入ったら学振ももらえて、『眼がスク』の話がきて、あとは博論を書いて本にするという、良くも悪くもなんにも考えなくても転がっていった。『非美学』刊行前後はコロナ禍も重なり体調的にも厳しかったが、もぞもぞいろいろ試していたおかげでもう自分は肩凝り腰痛が酷くなることはないだろうという自信を得られたのは大きい。ちょっと張ってきたら気づくし、なにをすればいいのかわかる。いまはフィロショピー第4期の準備をしている。これからどうするのか。事業として成立させるために頑張るのかこのまま気楽にやるのか考えどころだなと思う。『置き配的』もどうなるか。類書がないのでわからない。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月11日

気づけばここのところみすず書房の本を立て続けに読んでいる。シモンドンの『技術的対象の存在様式について』、レードンヴィルタの『デジタルの皇帝たち』、ヤコブソンの『音と意味についての六章』、スコットの『反穀物の人類史』。みすず書房は好きだ。いつ出た本だと言われてもおかしくないようなひっそりとした、でも平成的な余裕のあるデザインの、かちっと収まりのいい上製本。それは、僕がもっぱら読者であったときの読書の感じと結びついている。単純に、僕はおよそこれからもみすず書房で書くことはないだろうという、妙な安心感もある。僕は自分がハードカバーの本を作ることすらないような気もする。知り合いが書いていればそれだけで仕事の領域という感じを受けてしまうが、みすずはそういう圏域にもない。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月10日

くら寿司のCMに浜ちゃんが出ていて、「ウニが過ぎる!」と言っていたのだが、浜ちゃんはそういう言い方をしないし、それはむしろノブ的なツッコミなので、ああもう本当に終わってしまっているのだなと思った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月9日

イセザキモールを歩いていると、道の真ん中でカートを押して、袋に入った鯛焼きを売っている女性がいて、最近よく見るようになったなと思っていると別の女性が声をかけて買っていて、こういうのって老人が騙されるものなのではないかと思った。ドトールに入ると、金髪と白髪が混じったレジの女性の感じのいい声色と手元の微妙な戸惑いのギャップが気になって、彼女がこないだまで近くのカフェ・ド・クリエにいた店員だと気づく。名札に初心者マークがついている。こんなに近くの店に転職して気まずくなったりしないだろうか。

有隣堂に寄ってクセジュ文庫の『ストア派』とレヴィ゠ストロースの『悲しき熱帯』上下巻を買う。家で『悲しき熱帯』を読んでいて、そうか、これは本当の旅が不可能になったあとの旅行記なのかと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月8日

シットとシッポの収録日。上野東京ラインを新橋で降りるつもりが乗り過ごしてしまい東京駅で降りる。京橋駅から銀座線に乗れるようなので八重洲口から出ると長距離走者の福士加代子がいて、テレビで見る通りの笑顔で誰かに手を振っていた。相手のほうを見たが知らない人だった。収録を終えて帰っていると妻から仕事が終わったとLINEが来て、関内駅で落ち合ってサイゼリアで夕食を食べた。夜中、ストレッチをして10キロ走った。ペースやフォームや、どこに無理をさせているか、考えることがたくさんあるので1時間走ってもぜんぜん退屈ではない。1時間走っても漠然とつらいだけではないというのは、ひとつの教養だと思う。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月6、7日

10月6日

「それでは聴力計それ自体とは、つまりメーカーの販売するそれや、自作されたそれは、何なのだろうか? 聴力計それ自体とは、それぞれが相対的な個体性を有した技術的形態からなる総体である。」
(ジルベール・シモンドン『技術的対象の存在様態について』、宇佐美達郎・橘真一訳、みすず書房、86頁)

しばらく積んだままになっていたシモンドンの『技術的対象の存在様態について』を読む。人間や生物の存在論はあるが、機械の存在論をやったらどうなるか。あるひとつの機械が「ひとつ」であるための条件は何か。それはたとえば生物個体とはどう違うのか。機械が個体化されるプロセスはどのようなものか。といったことを書いてある本で、とても面白いのだが、なまじっかエンジンやら電子管やらについての専門的な記述が続く箇所が多いので、買ってすぐぱらっと読んで積んでいたのだ。しばらく積んでいると大事に頭から読む気持ちが薄れて、気安く読めるようになる(僕はこれが積読の大きな効用だと思う)。それで、知らない用語が出てくるページは片っ端から飛ばして、概念的な話をしているところだけを拾って読んでいる。それにしてもこの本と同時に『個体化の哲学』を書いていたなんて、ドゥルーズもそうだが、博士号取得のために主論文と副論文のふたつを書かねばならないというのはとんでもない仕組みだし、それがこうしてやりきれているのもすごいなと思う。

10月7日

エッセイ講座2回目の日。レジュメを作っていて、これはほとんどドゥルーズ『シネマ』の話だなと思った。僕は『眼がスクリーンになるとき』についてよく「知覚の外在性」と「身体の後発性」のふたつがテーマなのだと説明するが、それは『物質と記憶』も『シネマ』もそうだし、『非美学』も『ひとごと』もそうだと思う。文章もそうして考えているのだというのは、今回話して初めてわかった。

投稿日:
カテゴリー: 日記

10月5日

夜中、また煙草をやめようという気持ちになって、煙草とライターと灰皿を捨てて、吸いにくい気持ちにするためにレンジフードに新しいフィルターを貼った。寝る前に明け方の街を散歩していると近所の店の軒先におじいさんが自転車を停めて座り込んでいて、なるべく大きい声で「大丈夫?」とタメ口で聞きながら、こないだもこんなことがあったなと思う。うんうんと頷いていたので放っておくことにした。コンビニに寄って紙パックのプロテインドリンクを飲みながら帰ってストレッチをして寝た。しかしさっき、馬車道のタリーズで作業をしていて吸いたくなったのでコンビニに買いに出て外で煙草を吸った。その間12時間ほどだろうか。まあ、寝る前と起きた直後に吸わないようにして、コンスタントに走っていれば調子に響くことはないと思う。

あるいは、夜中、『置き配的』の再校ゲラができたのでPDFを編集者宛に翌朝の送信予約のメールに添付して送った。ずーっと面白い本になったと思う。これほどひらめきに満ちた本は最近無かったのではないかと思うが、商業的にも学術的にもひらめき自体がうっすら忌避されている感じもあるので、そこだけは不安が残る。

投稿日:
カテゴリー: 日記